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杉山東洋生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉山 東洋生
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 1921年
没年月日 戦死
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手[1]
プロ入り 1941年
初出場 1942年3月28日[2]
最終出場 1942年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉山 東洋生(すぎやま とよお、1921年 - 戦死)は、愛知県[3]出身のプロ野球選手一塁手)。

来歴・人物

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強豪として知られる中京商(現:中京大学附属中京高等学校)出身。在学中は、1940年春の甲子園に一塁手として出場した。

1941年9月30日黒鷲に入団[4]。チーム名が大和に改名した、翌1942年にレギュラーを獲得し49試合に出場したが、シーズン終了後に応召。その後、フィリピン戦死(没年月日は不明)[5]

東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1942 黒鷲
大和
49 123 113 1 19 1 0 0 20 4 3 1 1 -- 9 -- 0 7 -- .168 .230 .177 .407
通算:1年 49 123 113 1 19 1 0 0 20 4 3 1 1 -- 9 -- 0 7 -- .168 .230 .177 .407

背番号

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  • 28 (1941年 - 1942年)[4]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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