杉本定介
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県新潟市[1] |
生年月日 | 1932年4月25日[1] |
没年月日 | 2003年5月16日[要出典] |
身長 体重 |
179[1] cm 69[1] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右[1]投右[1]打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1952年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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杉本 定介(すぎもと ていすけ、1932年4月25日 - 没年不明[2])は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]新潟中学(現・新潟県立新潟高等学校)[3]卒業後、1952年に読売ジャイアンツ(以下、巨人)に入団。新潟県出身者として初めての巨人軍在籍選手となった[4]。1954年まで在籍したが、一度も一軍出場を果たせないまま巨人を退団した。僅か3年間の現役生活だが、背番号を4個、4回にわたって変えている。その後は、社会人野球の常磐炭礦野球部でプレーした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 【巨人在籍選手名鑑】杉本定介 ~my favorite giants~
- ^ a b 新潟大作戦 - 無題
- ^ 3学年上に同じ巨人の投手として入団した、鈴木実がいる。鈴木とは1953年~54年とチームメイトだった。
- ^ 元巨人の投手でプロレスラーだった馬場正平(ジャイアント馬場)は自著『馬場伝説』で、自分こそ新潟県ではじめてのプロ野球選手という記述があるが、「文芸春秋」2012年3月号の二宮清純「プロ野球 伝説の検証10」によると、杉本が新潟県出身者として第1号の巨人軍選手,鈴木が第2号であるため、馬場は新潟県出身者における巨人軍選手としては3番目になるという。
- ^ 読売ジャイアンツ 背番号40(背番号Maniax)
- ^ 読売ジャイアンツ 背番号25(背番号Maniax)
- ^ 読売ジャイアンツ 背番号33(背番号Maniax)
- ^ 読売ジャイアンツ 背番号39(背番号Maniax)