杉森信義
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杉森 信義(すぎもり のぶよし、元和7年〈1621年〉 - 貞享4年4月22日〈1687年6月1日〉)とは、江戸時代の武士。近松門左衛門の父。
来歴
[編集]越前国福井藩の藩士杉森信重の三男。幼名斎之助、のちに市左衛門と名乗る。妻は福井藩の藩医岡本為竹の娘喜里、子に智義、信盛(近松門左衛門)、伊恒(岡本一抱)らがいる。福井藩主松平忠昌に児小姓の頃より仕え、三百石を家禄とする。忠昌の没後は吉江藩で松平昌親に仕えたが、寛文4年(1664年)以降に藩を辞して浪人の身となり、妻子と共に京都に移り住んだ。京では俳書『宝蔵』に句を残している。享年67。墓所は京都本圀寺、戒名は智妙院道喜日勧居士[1]。
脚注
[編集]- ^ 以上、丸山昌朗「岡本一抱子」(68頁)及び『近松門左衛門 三百五十年』(15 - 16頁)参照。
参考文献
[編集]- 丸山昌朗 「岡本一抱子」 『漢方の臨牀』第9巻第11・12合併号 東亜医学協会、1962年 ※68頁
- 『近松門左衛門 三百五十年』 和泉書院、2003年 ※15 - 16頁