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杉野耕三郎

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杉野 耕三郎(すぎの こうざぶろう、明治元年12月19日[1]1869年1月31日) - 没年不詳)は、日本逓信官僚大連市長

経歴

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岐阜県養老郡高田町(現在の養老町)出身[2]1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[1]。通信事務官関東都督府在旅順軍郵便監査、郵便為替貯金管理所証券課長[3]、北京郵便局長[4]、神戸逓信管理局総務部長[5]神戸郵便局長神戸税関事務官、長野郵便局長[1]名古屋郵便局長[1]、逓信局書記官、臨時電信電話建設局事務官、熊本逓信局監理課長などを歴任し、1920年大正9年)に関東庁逓信局長となった[2][6]

1924年(大正13年)に退官した後は大連市長を務め、1928年(昭和3年)に退任[2]。その後は弁護士を開業した[2]1934年昭和9年)からは満洲ラジオ普及株式会社社長を務めた[7]

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信録 1918.
  2. ^ a b c d 財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇 1934, p. 73.
  3. ^ 『官報』第6973号、明治39年9月25日。
  4. ^ 名古屋百紳士 p.54 1917.
  5. ^ 『官報』第194号、大正2年3月26日。
  6. ^ 人事興信録 1921.
  7. ^ 『康徳2年版 満洲国現勢』、満洲国通信社、1935年、p.445

参考文献

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  • 馬場籍生『名古屋百紳士』名古屋百紳士発行所、1917年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『財界二千五百人集 満蒙及朝鮮篇』財界二千五百人集編纂部、1934年。 
公職
先代
村井啓太郎
大連市長
1924年 - 1928年
次代
石本鏆太郎