李仁友
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李 仁友(り じんゆう、生没年不詳)は、西夏の皇族。第7代皇帝襄宗の父[1]。
第4代皇帝崇宗の子で、第5代皇帝仁宗の弟。越王に封じられた[2]。
脚注
[編集]- ^ 『金史』巻134 列伝第七十二 外国上「泰和六年三月,仁孝弟仁友子安全,廢純佑自立,再閲月死于廢所。」s:zh:金史/卷134
- ^ 『宋史』巻486 列伝第二百四十五 外国二「開禧二年正月二十日廢,遂殂,年三十。在位十四年,諡曰昭簡皇帝,廟號桓宗,陵號莊陵。鎮夷郡王安全立。安全,崇宗之孫,越王仁友之子。開禧二年正月,廢其主純佑自立,明年改元應天。」s:zh:宋史/卷486