李仁模
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李仁模 | |
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生誕 |
1917年8月24日 日本統治下朝鮮 咸鏡南道豊山郡(現 両江道金亨権郡) |
死没 |
2007年6月16日 (89歳没) 北朝鮮 平壌市 |
国籍 | 北朝鮮 |
著名な実績 | 韓国の政治犯 |
李仁模 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 리인모 |
漢字: | 李仁模[1] |
発音: |
リ・インモ[2] イ・インモ[3] |
RR式: | Yi In-mo[1] |
MR式: | Ri In-mo[1][4] |
李 仁模(朝鮮語: 리인모、リ・インモ[2]、 イ・インモ[3][注釈 1]、1917年〈大正6年〉8月24日[5] - 2007年〈主体96年〉6月16日[3])[6]は、韓国で非転向長期囚として40年間の獄中生活を送り、自由を制限された北朝鮮国籍の人物である。朝鮮中央通信は、「朝鮮人民の間で信仰と意志の化身としてよく知られている」[5]「統一を目指す愛国戦士」[7]と評した。
生涯
[編集]李は、日本統治下の朝鮮の咸鏡南道豊山郡(現 両江道金亨権郡)で1917年8月24日に生まれた。
東京の高校に通学していたが、独立後に中退[3]。
朝鮮戦争中の1950年7月から朝鮮人民軍の従軍記者として活動していたが[8]、朝鮮半島南部の智異山[5]でゲリラ戦を展開していたところを韓国側に逮捕された[8]。1952年、懲役7年を宣告され[8]、1959年1月に出所後は「社会保護会」による管理下に置かれながら練炭工場に勤務[8]。1961年に地下党への組織資金提供の疑いで再逮捕され、懲役15年の宣告が出る[8]。李は韓国で27年間の獄中生活を送った[8]。獄中では、政治的信条を放棄する文書に署名することと引き換えに自由を得ることを提案されたが、繰り返し拒否した。
1988年10月に釈放されたが、韓国政府は李の活動を制限し続けた。1989年、月刊マルに「朝鮮人民軍従軍記者の最後の任務」と題した手記を寄稿[8]。1991年7月に脳出血のため手足が不自由になる[8]。釜山の病院に入院治療中であったが[8][9]、南北政府間の交渉の結果[10]、1993年3月11日に韓国政府は李の北朝鮮へ送還が発表[11][12][13][14][15]、1993年3月19日に北朝鮮に送還され、板門店で妻子と再会した[16][17][18][19][20][21]。北朝鮮への送還後、刑務所での生活が原因で体調を崩し[5]、1996年5月29日にアメリカで治療を受けるため北京・成田空港経由で出国した[22][23][21]。
体調回復後、北朝鮮政府により李の獄中での様子が映画化された[24]。北朝鮮では、李が公の場に何度も登場し、国民の人気を博した[21]。しかし、映画の中にハンストの話が出ており、韓国の刑務所はハンストができるほど食べ物が豊富だということで、北朝鮮の国民に韓国の刑務所での生活は信じられているほど悪くないと思わせてしまった[24]。
李は2007年6月16日に亡くなり、国家英雄として葬儀が行われた[21]。葬儀委員会は、金永南が委員長、崔泰福が副委員長を務め、金英逸を含む55人の委員で構成された[25]。翌年には平壌の統一通りに銅像が建立された[21][26]。
著作
[編集]- Ri In-mo (1993). Incarnation of Faith and Will: Notes of Ri In Mo, Former War Correspondent of the Korean People's Army. Pyongyang: Foreign Languages Publishing House. OCLC 34912928
脚注
[編集]注記
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Yi, In-mo, 1917-”. Linked Data Service Library of Congress. 25 July 2015閲覧。
- ^ a b 北朝鮮、金元大統領の訃報に沈黙...故金日成主席弔問のわだかまり? ハンギョレ 2015-11-23
- ^ a b c d “北に送還された非転向長期囚・李仁模氏が死去”. 中央日報. (2007年6月18日) 2021年12月12日閲覧。
- ^ Agency, Yonhap News, ed (27 Dec 2002). North Korea Handbook. Seoul: M. E. Sharpe. p. 470. ISBN 9780765635235 18 April 2015閲覧。
- ^ a b c d “Ri In Mo, Incarnation of Faith and Will”. Korean Central News Agency. (13 February 2015). オリジナルの18 April 2015時点におけるアーカイブ。 18 April 2015閲覧。
- ^ “Ri In Mo Passes Away” (17 June 2007). 12 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。25 July 2015閲覧。
- ^ “Learning from Spirit of Ri In Mo, Pro-reunification Patriotic Fighter, Encouraged in DPRK”. Korean Central News Agency. (2 March 2015) 18 April 2015閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 「特集――元朝鮮人民軍従軍記者・李仁模氏を平壌の家族のもとへ」『月刊朝鮮資料』31巻(12号)、朝鮮問題研究所、1991年12月1日、43–52頁。
- ^ 미전향장기수 이인모 씨, 3월 중 송환 추진 (MBCニュースデスク、1993年3月7日)
- ^ 비 전향 장기수 이인모 노인, 무조건 북송 (MBCニュースデスク、1993年3月10日)
- ^ 이인모씨 방북 허용 - KBS NEWS(韓国放送公社) (KBS9時ニュース現場、1993年3月11日)
- ^ 이인모 44년만의 귀향 - KBS NEWS(韓国放送公社) (KBS9時ニュース現場、1993年3月11日)
- ^ 구본홍 북한부장, 이인모 노인 송환관련 해설 (MBCニュースデスク、1993年3月11日)
- ^ 이인모 노인 19일 북송 - KBS NEWS(韓国放送公社) (KBS9時ニュース現場、1993年3月16日)
- ^ 이인모 노인 내일 북한으로 송환 (MBCニュースデスク、1993年3月18日)
- ^ 이인모 노인 북한 송환 - KBS NEWS(韓国放送公社) (KBS9時ニュース現場、1993年3月19日)
- ^ 비전향 장기수, 이인모씨 북송 (MBCニュースデスク、1993年3月19日)
- ^ 북한, 이씨 대대적 환영,선전에 이용 (MBCニュースデスク、1993年3月19日)
- ^ 「【ファイル社会主義朝鮮】――李仁模老人、家族の待つ北へ帰る」『月刊朝鮮資料』33巻(5号)、朝鮮問題研究所、1993年5月1日、44頁。
- ^ 「記録:元朝鮮人民軍従軍記者・李仁模(V) / 李仁模」『月刊朝鮮資料』33巻(5号)、朝鮮問題研究所、1993年5月1日、56–57頁。
- ^ a b c d e James Hoare (13 July 2012). Historical Dictionary of Democratic People's Republic of Korea. Scarecrow Press. p. 327. ISBN 978-0-8108-6151-0
- ^ 미전향 인사 이인모 노인, 신병치료 위해 미국으로 - KBS NEWS(韓国放送公社) (KBSニュース9、1996年5月29日)
- ^ 비전향 장기수 이인모씨 신병 치료 위해 미국행 (MBCニュースデスク、1996年5月29日)
- ^ a b Burdick, Eddie (26 May 2010). Three Days in the Hermit Kingdom: An American Visits North Korea. McFarland. p. 300. ISBN 9780786456536 18 April 2015閲覧。
- ^ “Ri In Mo Passes Away” (17 June 2007). 12 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月12日閲覧。
- ^ 신념과 의지의 화신 리인모 - YouTube - elufatv
参考文献
[編集]- Kim Il-sung (1999). “Talk with Ri In Mo: April 15, 1993”. Kim Il Sung: Works. 44. Pyongyang: Foreign Languages Publishing House. pp. 153–155. OCLC 827642144