李元昌
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李 元昌(り げんしょう、生年不詳 - 貞観17年4月6日(643年4月29日))は、中国の唐の高祖李淵の七男。漢王に立てられた。
経歴
[編集]李淵と孫嬪のあいだの子として生まれた。若くして学問を好み、隷書を得意とした。また膂力にすぐれ、騎射をよくした。
武徳3年(620年)、魯王に封ぜられた。貞観5年(631年)、華州刺史に任じられ、梁州都督に累進した。貞観10年(636年)、漢王に徙封された。梁州にあって不法な振る舞いが多く、太宗はとがめて叱責したが、李元昌はこれを恨みに思って、太子李承乾に接近した。貞観16年(642年)、長安に来朝すると、東宮に宿泊し、「殿下には早く天子となっていただきたい。今上のそばに琵琶のうまい宮人がいるが、事が成ったあかつきにはわたしに賜らんことを」と李承乾に言った。李承乾はこれを許し、臂を割いて血盟した。貞観17年(643年)、李承乾の謀反は失敗に終わり、太宗は李元昌を誅殺するのに忍びなく、一命だけは助けようとしたが、大臣の高士廉・李勣らが厳しく反対した。太宗はやむをえず、李元昌を家で自殺させ、封国も除かせた。妻子は連座して庶民に落とされた。