李叔平
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李叔平 | |
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『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年) | |
プロフィール | |
出生: | 1896年(光緒22年)[1][2][3] |
死去: | 没年不詳 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区瀋陽県 [2] |
職業: | 官僚 |
各種表記 | |
繁体字: | 李叔平 |
簡体字: | 李叔平 |
拼音: | Lǐ Shūpíng |
ラテン字: | Li Shu-p’ing |
和名表記: | り しゅくへい |
発音転記: | リー・シューピン |
李 叔平(り しゅくへい、1896年 – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚。
事績
[編集]日本に留学し、東京高等工業学校機械科を卒業。1922年(民国11年)から奉天紡紗廠工務長、四洮鉄路機務分段長、洮昂鉄路局工程師、呼海鉄路局機械科長、中東鉄路総工廠長を歴任している[2]。
満洲国建国後の1932年(大同元年)9月に東省特別区市政管理局秘書となり、翌1933年(大同2年)4月にハルビン市政籌備所総務科長、7月に同市公署行政処長と歴任する。1934年(康徳元年)12月に浜江省民政庁長、1936年(康徳3年)に土木局副局長、1937年(康徳4年)に吉林省土木庁長[2]、1939年(康徳6年)1月、開拓総局拓地処長に任命された[4]。
1941年(康徳8年)10月11日、李叔平は北安省長に起用された[5]。1944年(康徳11年)12月16日、中央へ呼び戻され、禁煙総局長に改任された[6]。
1945年以後における李叔平の動向は不明である。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。
- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第三版』満蒙資料協会、1940年。
- 外務省情報部編『現代中華民国満洲帝国人名鑑 昭和十二年版』東亜同文会業務部、1937年。
- 『大満洲帝国名鑑 昭和九年版』挙国社、1934年。
- 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
満州国
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