李叔虎
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李 叔虎(り しゅくこ、458年 - 511年)は、北魏の官僚・学者。『北史』は避諱により李叔彪と作る。本貫は渤海郡蓨県。
経歴
[編集]学問を好んで見聞が広く、太和年間に中書博士に任じられ、崔光や邢巒と親交を結んだ。議郎に転じた。長らくして太尉従事中郎となり、国子博士・勃海国中正に任じられ、楽陵郡中正を兼ねた。後に散騎侍郎・太極都将を兼ねた。高陽郡太守に任じられたが、固辞して受けなかった。まもなく顕武将軍の位を受け、高陽王元雍の下で諮議参軍事をつとめた。また仮節・行華州事に任じられた。511年(永平4年)、死去した。享年は54。冠軍将軍・南青州刺史の位を追贈された。諡は穆といった。
子の李述は、字を道興といい、太常博士・尚書儀曹郎・建興郡太守を歴任した。
伝記資料
[編集]- 『魏書』巻72 列伝第60
- 『北史』巻45 列伝第33