コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

李士偉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李士偉
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1883年光緒9年)[1]
死去: 1927年民国16年)1月
中華民国の旗 中華民国上海市
出身地: 清の旗 直隷省広平府永年県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 李士偉
簡体字 李士伟
拼音 Lǐ Shìwěi
ラテン字 Li Shih-wei
和名表記: り しい
発音転記: リー シーウェイ
テンプレートを表示

李 士偉(り しい)は中華民国の政治家。北京政府の要人。伯芝

事績

[編集]

1901年光緒27年)、日本に留学し、早稲田大学政治経済科に入学した[2]1906年(光緒32年)の帰国後に北洋総督秘書に就任し、さらに北洋師範学校学監となった。その後も、直隷全省学務処会弁、直隷全省自治総局督理などを歴任した。そのほかにも産業分野で様々な事業に関与し、中国工業銀行総裁にも就任した。

中華民国成立後は、北京政府の財政部顧問、農商部鉱政顧問、参政院参政などを歴任した。1915年民国4年)4月、33歳で中国銀行総裁となったが、翌年4月に罷免された。1920年(民国9年)、中日実業公司総裁となった。翌年5月、靳雲鵬内閣において財政総長に任命されたが、同年10月に辞任した。1927年(民国16年)1月、上海で病没。享年45。

[編集]
  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』448頁による。Who's Who in China 3rd ed., p.477は1895年としているが、これは明らかに誤りである。
  2. ^ 卒業したとの説もあるが、早稲田大学校友会(1934)、784頁によれば、1908年(明治41年)に推薦校友になったとしているのみである。

参考文献

[編集]
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
周自斉
財政総長
1921年5月 - 10月
次代
高凌霨