李忠 (唐)
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李忠 | |
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続柄 | 高宗第1皇子 |
称号 | 皇太子 |
身位 | 陳王→皇太子 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
貞観17年(643年) |
死去 |
麟徳元年12月15日[1] (665年1月6日) 黔州 |
子女 | 養子:玄宗 |
父親 | 高宗 |
母親 | 劉氏 |
李 忠(り ちゅう)は、唐の高宗の長男で、最初の皇太子である。字は正本。母は劉氏。
生涯
[編集]貞観20年(646年)、陳王に封ぜられた。永徽元年(650年)、雍州牧に任ぜられた。永徽3年(652年)7月に皇太子に立てられた。顕慶元年(656年)、武則天が高宗の皇后となると、太子位を廃されて梁王に降格され、梁州都督に左遷され、次いで房州刺史に左遷された。
この頃には李忠は殺害されることを恐れ、常に女装していたという。顕慶5年(660年)7月、庶民に落とされ、黔州に流されて、以前に伯父の李承乾(父高宗の兄で同じく廃太子)が幽閉された旧居に軟禁された。麟徳元年12月(665年1月)、黔州で死を賜った。享年22。
神龍初年、燕王に追封され、太尉・揚州大都督の位を追贈された。
脚注
[編集]- ^ 『旧唐書』巻4, 高宗紀上 麟徳元年十二月戊子条による。