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李文源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 文源(イ・ムヌォン、朝鮮語: 이문원1907年8月10日[1] - 1969年2月15日[2])は、大韓民国教員実業家政治家制憲韓国国会議員。

経歴

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現在の全羅北道全州市出身。全州師範学校(現・全州教育大学校)卒。以後教員として20年近く勤めた。解放後は社会民主党中央執行委員兼企画部長、韓国独立党中央党執行委員・組織部長・農林政策委員長、国民党中央執行委員組織部長、大韓独立促成国民会ソウル中区本部執行委員組織部長・分会長、大同青年団組織部長を務めた。そのほか、トンファ商事株式会社社長[1]、ソウル市被服工業組合理事、啓星国民学校後援会理事、淑明女子中学校後援会理事長を務めた。1948年の初代総選挙で全羅北道益山の選挙区から当選したが、国会フラクション事件により投獄された。朝鮮戦争の際に北朝鮮に拉致されたが[3]、これについては「越北」だとする見解もある。1954年5月ごろに大同郡農業協同組合の副委員長として召喚され、1956年7月ごろ、在北平和統一促進協議会の発起人兼常務委員を務め[4]、1955年9月には人民大学の特設班に入学した。その後1959年ごろに北青果樹農場に追放されたとされる[5]。その約10年後に死去したとされるが、詳しいことはわかっていない。

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年10月11日閲覧。
  2. ^ 62기 중 안재홍 이광수 김효석 조헌영...등 좌우 인사 39명 묘소 최초 공개”. web.archive.org (2007年10月6日). 2007年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
  3. ^ 자료일암 | 한국사데이테베이스”. 韓国史データベース. 2023年10月11日閲覧。
  4. ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、292頁。NDLJP:2973328/191 
  5. ^ 북한총람 중 납북인사명단(4)-아자차하 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年10月11日閲覧。