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李景亮 (唐)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李景亮(り けいりょう)はの官吏。李章武(りしょうぶ)の幽婚譚(『太平広記』巻340「李章武」)の作者。

その仕履は不明な点が多く、徳宗貞元10年(基督教暦795年)12月に制挙の一である詳明政術可以理人科(しょうめいせいじゅつかいりじんか)に擢第した事と[1]憲宗元和末年(元和は20年(基督教暦820年)迄)には翰林待詔(かんりんたいしょう)の官にあって左司御率府(さしぎょそつふ)長史を授けられた事が知られるのみである[2]

なお、宋代張読(ちょうどく)の伝奇小説李徴」(『宣室志(せんしつし)』所収)を脚色した話本「人虎伝」が行われてその撰者とされ、清代に小説「人虎伝」を収めた伝奇叢書の多くもその撰者を李景亮としているが、これらは偽託と見られている[3]。また、宣宗大中9年(855年)3月の宏詞(こうし)の考試で題目の漏洩が発覚し登科の10人が均しく下第、関係者が処罰されるという事件があり[4]、その発覚は日官(にちかん)であった李景亮の奏上に因るものであったというが[5]、この日官は同名の別人らしい[6]

脚注

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  1. ^ 唐会要』巻76。
  2. ^ 白氏長慶集』巻51。
  3. ^ 今村与志雄『唐宋伝奇集(下)』「李徴が虎に変身した話」訳注、岩波文庫、1988年。張読は大和8年(834年)の生まれで李より後の時代に属す。なお、詳しくは「李徴」参照。
  4. ^ 旧唐書』宣宗本紀大中9年3月条。
  5. ^ 南部新書』戊巻。
  6. ^ 王夢鷗『陳翰異聞集校補考釋』(藝文印書舘、中華民國62年)「碧玉檞葉」解題。

参考文献

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  • 黒田真美子「李章武伝」『枕中記・李娃伝・鶯鶯伝他』(中国古典小説選5)、明治書院、2006年