李暹
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李 暹(り せん、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将。董卓の部将李傕の甥(兄の子)。同じく李傕の兄の子の李利とは兄弟とも従兄弟とも考えられる。
正史の事跡
[編集]姓名 | 李暹 |
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時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
本貫・出身地等 | 涼州北地郡泥陽県(現在の甘粛省慶陽市寧県) |
職官 | 〔不詳〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 李傕 |
家族・一族 | 叔父:李傕 兄弟:李利〔従兄弟?〕 従弟:李式(李傕の子)、胡封(おばの子) 従叔父:李応〔李傕の従弟〕 |
興平2年(195年)4月、李傕は、郭汜が献帝を手中にしようとしているのを知り、李暹を派遣して自らの陣営に迎え入れさせた。この際に、宮殿からの献帝の移動に太尉楊彪が異論を唱えたが、李暹は一切気に留めることなく、献帝を御車に乗せて李傕の陣に護送した。この件を最後に、李暹は史書から姿を消す。
物語中の李暹
[編集]小説『三国志演義』でも、史実とほぼ同様の行動をしている。しかし曹操が献帝を保護すると、李別(李利の『演義』での名)と共に李傕軍の先頭に立って献帝を奪い返そうとしたが、曹操の部将・許褚に、李別もろとも一刀の下に斬り捨てられている。