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李相喆 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1961年以前

李 相喆(イ・サンチョル、朝鮮語: 이상철1893年2月26日 - 1979年11月27日)は、大韓民国政治家

本貫慶州李氏[1]石雲(ソグン、석운)。

経歴

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1893年、忠清道青陽(現忠清南道青陽郡)出身[2]日本明治大学法学部を卒業し、日本統治時代東亜日報朝鮮日報毎日新報の社会部・政治部で記者として働いた[2]

解放後は政界に転じ、1950年の第2代総選挙で無所属候補として青陽郡選挙区から出馬し当選[2]。1957年、民主党の中央委員会副委員長となり、1960年の第5代総選挙で青陽郡・洪城郡選挙区から出馬し当選[2]。逓信部長官、内務部長官を歴任した[2]。1963年の第6代総選挙では国民の党公認で青陽郡・洪城郡選挙区から出馬し当選[2]。1965年から国会副議長を務める[2]。1967年に引退[3]。1969年から新民党顧問となる[2]

1979年11月27日、ソウル特別市西大門区の自宅で病没[3]

脚注

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  1. ^ (6)경주 이씨(慶州李氏)-1,424,866명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 엄태석「이상철(李相喆)」『한국민족문화대백과사전한국학중앙연구원、1995年http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E00446232021年7月21日閲覧 
  3. ^ a b “이상철옹 별세”. 중앙일보. (1979年11月27日). https://news.joins.com/article/1524571 2021年7月21日閲覧。 

外部リンク

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