李相慶
表示
李 相慶(イ・サンギョン、朝鮮語: 이상경、1902年6月7日[1] - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、水利組合理事、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員[2]。
経歴
[編集]本籍は慶尚南道河東郡。明治大学法学部[2]、日本大学卒[3]。日本統治時代の朝鮮では官僚を経て、郷里で蟾津江水利組合理事を務めた[3]。光復後は大韓独立促成国民会河東郡支部長などを経て、1950年の第2代総選挙に国民会の公認で立候補して当選し、国会議員となった[2]。朝鮮戦争の際、孝子洞で身を隠していたところ北朝鮮に拉致された。1956年7月、在北平和統一促進協議会中央委員に就任[4]。以降の動向や活動ついての詳細は不明。2005年7月20日から25日までに、『在北人士の墓』が公開されたことにより墓所が明らかとなった[5]。
脚注
[編集]- ^ “87.이상경 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年8月30日閲覧。
- ^ a b c “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年8月30日閲覧。
- ^ a b c “公益心豊富(공익심풍부)한 水組理事(수조이사) 李相慶氏(이상경씨)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1939年9月8日). 2023年8月30日閲覧。
- ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、252頁。NDLJP:2973328/186。
- ^ “北, 납북-월북 62人 평양묘역 공개” (朝鮮語). 동아일보 (2005年7月27日). 2023年8月30日閲覧。