李福晟
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李 福晟(イ・ボクソン、朝鮮語: 이복성/李福晟、1902年9月9日 - 1954年7月18日)は、大韓民国の政治家。鎮安面面長、第3代韓国国会議員を歴任したが、国会議員在任中に死去した[1]。
李 福成(読み、ハングル)とも表記される[2]。元全羅北道議会議員の李忠国は孫、全羅北道議会議員の李ルラは曽孫娘[3]。
経歴
[編集]全羅北道(現・全北特別自治道)鎮安郡出身。釜山商業学校卒。鎮安郡糧穀加工組合工場長、鎮安郡消防隊隊長、鎮安郡体育会会長、鎮安面面長、大韓青年団鎮安郡団団長、自由党鎮安郡党委員長、大韓民国主権守護同盟鎮安郡支部委員長などを務めた[1][2]。
1954年の第3代総選挙では鎮安郡選挙区で自由党から立候補して当選したが、当選直後の同年7月18日に脳溢血によりソウル市内の知人宅で死去した。享年51[4]。在職中に死去したため、同年10月25日に補欠選挙が行われ、同党所属の朴定根が当選した。[要出典]
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月9日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “'초선 맞아?"진안군의회 청년 여성 의원 '눈길 '” (朝鮮語). 전북일보 인터넷신문 (2022年7月20日). 2024年11月9日閲覧。
- ^ “李福晟議員別世(이복성의원별세)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1954年7月20日). 2024年11月9日閲覧。