李耀漢
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李耀漢 | |
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プロフィール | |
出生: | 1878年(清光緒4年) |
死去: |
1942年(民国31年) 中華民国広東省新興県 |
出身地: | 清広東省肇慶府新興県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 李耀漢 |
簡体字: | 李耀汉 |
拼音: | Lǐ Yàohàn |
ラテン字: | Li Yao-han |
和名表記: | り ようかん |
発音転記: | リー ヤオハン |
李 耀漢(り ようかん)は中華民国の軍人。護法戦争において、孫文(孫中山)らの南方政府に属した。字は子雲。
事跡
[編集]緑林の徒であったが、清末に官軍に投降し、新興県の巡防営管帯などを歴任した。辛亥革命の際には、革命派に呼応している。1914年(民国3年)3月、広東肇陽羅鎮守使に就任した。後に、広東軍第1師師長となっている。
1917年(民国6年)8月、北京政府の馮国璋から署理広東省省長となった。しかし同年9月、広州非常国会において籌餉督弁に選出され、10月、一時的に署理広東督軍を兼ねた。1918年(民国9月)9月、広州軍政府により各職から罷免されている。1923年(民国12年)、桂系(旧広西派)の沈鴻英の下で第5軍軍長をつとめたが、沈は孫文に叛逆して開平の戦いで敗北してしまう。その後、李耀漢率いる軍は沈の下を外れて流浪の軍勢となり、故郷の新興を中心に割拠した。
1943年(民国31年)、新興で死去。享年66。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国軍政府
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