李衡哲
表示
李衡哲 리형철 | |
---|---|
生年月日 | 1948年2月25日(76歳) |
出生地 | 北朝鮮平安北道 |
出身校 | 国際関係大学 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
在任期間 | 1997年10月 - 2001年11月 |
最高指導者 | 金正日(1994年 - 2011年) |
朝鮮労働党国際部部長 | |
在任期間 | 2002年10月 - 不明 |
政務院外交部米州局長 | |
在任期間 | 1994年12月 - 1997年 |
政務院外交部副部長 | |
在任期間 | 1993年 - 1994年 |
李衡哲 | |
---|---|
各種表記 | |
チョソングル: | 리형철 |
漢字: | 李衡哲 |
発音: | リ・ヒョンチョル |
李 衡哲(李 亨哲、リ・ヒョンチョル、朝鮮語: 리형철、1948年2月25日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の外交官、政治家。国連大使、外交部副部長、同米州局長などを歴任した。
経歴
[編集]1948年に平安北道で生まれた[1]。国際関係大学卒業[1]。1977年に国際問題研究所研究員に就任し[1]、1978年に朝鮮労働党統一戦線部責任指導員に転じた[1]。1981年に朝鮮社会科学院対外部門指導員を経て、1988年に軍縮平和研究所研究員となった。1991年6月に軍縮平和研究所副所長に進み、1993年に外交部副部長に就任した[1]。1994年に外交部米州局長に就任し[1]、1996年9月に発生した江陵浸透事件の協議の為、同年12月にアメリカを訪問し、同国国務省韓国課長と実務協議を実施。最終的に北朝鮮が謝罪することで合意し、「深い遺憾」の意を表明した[2]。1997年6月にはニューメキシコ州にあるサンディア国立研究所を訪問した[3]。同年6月、8月にロバート・アインホーン国務次官補とミサイル問題などについて討議した[4]。同年11月に国連大使に任命され[1]、核・ミサイル問題などについてアメリカ当局者と討議した[5]。2001年11月に解任された[6]。2002年に朝鮮労働党国際部課長に就任し[1]、2004年6月に6.15南北共同宣言4周年を記念して、ソウルを訪問した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 리형철 李衡哲북한지역정보넷
- ^ 北,잠수함침투 공식사과…4자회담 설명회 1월 개최 東亜日報 1996年12月29日
- ^ 北외교부 이형철일행,美 군비통제센터 방문 東亜日報 1997年6月25日
- ^ 北-美 미사일회담,27일 뉴욕서 재개 東亜日報 1997年8月14日
- ^ 북미대화 시기-의제 절충 東亜日報 2001年6月13日
- ^ 북한 駐유엔대사에 박길연씨 임명 東亜日報 2001年11月19日
朝鮮民主主義人民共和国
|
---|