村上敬次郎
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村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日(1853年10月6日)- 昭和4年(1929年)2月15日[1])は、安芸国(現:広島県)出身の官僚、大日本帝国海軍軍人。貴族院議員、男爵、勲一等旭日大綬章。
経歴
[編集]1853年広島藩士堀尾笑石の二男として生まれ、のち広島藩家老東城浅野家の用人、村上邦裕の養子となる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて洋学を学び、1866年藩命にて渡正元ら洋学生50名と江戸に遊学。このとき引率したのが山田十竹、伴資健[2]。1871年海軍兵学寮の留学生として海軍伝習のためイギリスに留学。1874年に帰国し、広島英語学校教員となる。1876年海軍省入省、その後海軍少書記官、軍大臣秘書官、呉鎮守府監督部長、海軍省経理局長を務めた後、1897年主計総監となり、1909年予備役に編入。1904年の日露戦争では大本営海軍経理部長として従軍した。1907年日露戦争、海軍関連法律整備の功により男爵。1909年12月21日、勅選により貴族院議員[3][4][5]となり、研究会に所属し[1]、1926年6月7日まで在任[6]。1906年勲一等旭日大綬章受章。
栄典
[編集]- 位階
- 1902年(明治35年)4月30日 - 従四位[7]
- 1907年(明治40年)5月20日 - 正四位[8]
- 1908年(明治41年)9月30日 - 従三位[9]
- 1918年(大正7年)10月10日 - 正三位[10]
- 勲章
親族
[編集]- 村上隆吉 - 長男。農商務省特許局長官・水産局長。帝国水産会会長。
- 村上鶴 - 妻。広島藩士田口牛之助の三女。参天製薬の創業者田口謙吉は二男であり、敬次郎とは義兄弟の間柄。
- 村上雅代 - 長女。福田徳三の最初の妻。後に離婚。
脚注
[編集]- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』170頁。
- ^ 修道中学校・高等学校「修道開祖の恩人山田十竹先生物語」平成24年版33頁
- ^ 村上 敬次郎とは - コトバンク
- ^ 修道中学校・高等学校「修道開祖の恩人山田十竹先生物語」平成24年版33頁・59頁
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
- ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
- ^ 『官報』第7165号「叙任及辞令」1907年5月21日。
- ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
- ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
- ^ 『官報』第4156号「叙任及辞令」1897年5月13日。
参考文献
[編集]関連項目
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日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 村上(敬次郎)家初代 1907年 - 1926年 |
次代 村上隆吉 |