村上桂策
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村上 桂策(むらかみ けいさく、1851年4月25日(嘉永4年3月24日[1][2])- 1925年(大正14年)4月18日[2][3][4])は、明治から大正期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]伊予国新居郡郷村(愛媛県新居郡神郷村を経て現新居浜市)で[2][3]、豪農・村上良三郎[注 1]の長男として生まれる[3]。漢学を修め、早くから政治に関心を持った[2][3]。1875年(明治8年)7月に家督を相続した[1]。
村会議員を務め[3]、1881年(明治14年)5月、愛媛県会議員補欠選挙で当選し、1884年(明治17年)以降6期連続で務め、1890年(明治23年)8月まで在任した[2][3][4]。この間、大同団結運動に加わり、工藤干城らと大同派東予倶楽部を結成して鈴木重遠らと連携した[3]。
1890年、貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日から[5]1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2][3][4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第3版』む24頁では良三朗。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 『愛媛県百科大事典』下、愛媛新聞社、1985年。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。