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村山幸次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村山 幸次郎(むらやま こうじろう、1834年天保5年)[1] - 1892年明治25年)[1])は、日本の建築技師。

経歴

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1873年から内匠課へ出仕、その後1884年、箱根塔ヶ島離宮の日本館の建築を担当する[1][注 1]

その後、内匠六等属、匠手、内匠互寺技手を経て、1889年、内匠寮技手となる[1]。 また同年、赤坂離宮内花御殿御車寄せの新築を担当、これはのちに田母沢御用邸に移築された[1]。1890年には高輪御殿とも称し、昭和天皇の皇太子時代の東宮御所となった常宮御殿の新築を担当した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ (パンフレットより)箱根離宮は1884年に皇室の避暑、避病の地として医学者ベルツと伊藤博文らが建議。同年10月31日付けで民有地を買い上げ翌85年3月に着工。建築工事掛長は肥田浜五郎、御用掛 藤本寿吉福澤諭吉の甥)宮内六等属 村山幸次郎らがそれぞれを担当した。西洋館は藤本寿吉の設計監理によるもの。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『皇室建築 内匠寮の人と作品』428頁。

参考文献

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