村岡吾一
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村岡 吾一(むらおか ごいち、1885年(明治18年)8月28日[1] - 1952年(昭和27年)1月2日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。
経歴
[編集]山口県大島郡蒲野村(現在の周防大島町)出身。村役場に勤務の後、1906年(明治39年)に裁判所書記試験に合格した[3]。1907年(明治40年)に日本大学を卒業した後は、通信手や東京地方裁判所書記を務めるかたわら、日本大学高等専攻科に在籍した[3]。1910年(明治43年)、弁護士試験に合格し、江木衷の事務所に勤務した[3]。その後、下関市に事務所を開き、後には山口弁護士会長に選出された[2]。下関市会議員、同議長、山口県会議員を歴任[2]。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
その他、日本建材工業株式会社取締役を務めた[2]。
著書
[編集]- 『司法警察官実務資料』(1911年、成文閣)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本弁護士総覧 第二巻』東京法曹会、1912年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。