村治敏男
表示
村治 敏男 | |
---|---|
生誕 |
1891年11月30日 日本 滋賀県 |
死没 | 1969年10月23日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
村治 敏男(むらじ としお、1891年(明治24年)11月30日[1] - 1969年(昭和44年)10月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に滋賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第34期卒業卒業[1]。1937年(昭和12年)8月2日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、8月7日に関東軍野戦鉄道参謀に着任[2]。1938年(昭和13年)6月4日に関東軍野戦鉄道参謀長となり[2]、7月15日に歩兵第22連隊長に就任した[2]。
1939年(昭和14年)8月に陸軍少将進級と同時に第1鉄道輸送司令官に着任[1][2]。1940年(昭和15年)6月26日に参謀本部附となり[1]、12月2日に壱岐要塞司令官に就任した[1]。1942年(昭和17年)6月に第2野戦鉄道司令官(北支那方面軍)に転じ[1]、1944年(昭和19年)10月に陸軍中将に進級[2]。1945年(昭和20年)1月20日に東部軍司令部附[3]、2月1日に東部軍管区司令部附を経て[4]、2月20日に大邱師管区司令官に着任[5]。4月1日に大邱師管区司令官に親補された[6]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 福川 2001, 718頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 335頁.
- ^ 「第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931700
- ^ 「第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700
- ^ 「第37号 昭和20年2月20日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934000
- ^ 「第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120938500
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。