杜瑗
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杜 瑗(と えん、327年 - 410年)は、東晋の軍人。字は道言。本貫は交趾郡朱䳒県。
経歴
[編集]杜瑗の一族はかれの祖父の杜元の代に交趾に移住した。杜瑗は交州に出仕して日南郡太守・九徳郡太守・交趾郡太守を歴任した。
太元5年(380年)、九真郡太守の李遜が反乱を起こした。太元6年(381年)、杜瑗は反乱軍を撃破して、李遜を斬った。龍驤将軍の号を受けた。隆安3年(399年)、林邑の范胡達が交州に侵入して、州城を包囲した。杜瑗は三男の杜玄之とともに防戦して、林邑の軍を撃退した。追撃して九真郡・日南郡を奪回し、范胡達を林邑に追い返した。杜瑗は龍驤将軍・交州刺史に任じられた。元興3年(404年)、冠軍将軍の号を受けた。盧循が広州を占拠すると、修好の使者を送ってきたが、杜瑗はその使者を斬った。
義熙6年(410年)、死去した。享年は84。右将軍の位を追贈された。
子女
[編集]- 杜玄之
- 杜慧度
- 杜慧期(交趾郡太守)
- 杜章民(九真郡太守)