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来栖 七郎(くるす しちろう、1883年(明治16年)7月20日[1] - 1928年(昭和3年)5月24日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。
茨城県北相馬郡北文間村(現在の龍ケ崎市)出身。日本法律学校を経て、東京政治学校を卒業。二六新報記者、同理事、帝国通信記者、自由通信社理事などを歴任。さらに殖民協会理事長を務めた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第16回衆議院議員総選挙でも再選された。
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、12頁。
- ^ 『官報』第425号、昭和3年5月30日
- 『衆議院要覧(乙) 大正十三年六月』衆議院事務局、1924年。