東ゴート族
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東ゴート族(ひがしゴートぞく、Ostrogoths)は、ゲルマン人の一派。
歴史
[編集]東ゴート族は、150年ごろから黒海北岸に定住していたゴート族の一派である。220年ごろ、2つに分かれて活動し始める[要出典]。ドニプロ川の東側に住んだグループが、砂の多い平野に住んだことからグルトゥンギ・アウストロゴティ (Grutungi Austrogoti)[注釈 1]と呼ばれるようになったが、やがて「グルトゥンギ」の部分が無くなり、「Austrogoti」が「Ostgote」すなわち「東ゴート」に変化して、東ゴート族と呼ばれるようになった[2]。なお、もう一方のグループはドナウ川中流域に定住し、西ゴート族と呼ばれるようになった[要出典]。
360年、西へ移動するフン族と接触し始める[要出典]。372年、そのフン族により、攻撃を受け[要出典]、375年にフン族によって征服される[3]。生き残りの一部は、フン族とともに行動した[4]。また一部はヴァンダル族とともにローマ帝国に保護を求め、パンノニアに移住したが、このときローマ人から屈辱を受ける[要出典]。5世紀末にフン族の衰退により、東ゴート族の王テオドリックが部族を率いてイタリアに入り[5]、493年に東ゴート王国を建国した[6]。
後に東ローマ帝国と対立し、一時はローマを占領するなどイタリアの大半を制圧するが[要出典]、皇帝ユスティニアヌス1世の派遣した将軍ベリサリウスに敗れ、その更迭後に東ローマ軍を率いた宰相ナルセスによって滅ぼされた[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- シュライバー, ヘルマン『ゴート族 - ゲルマン民族大移動の原点』岡淳、永井潤子、中田健一訳、佑学社、1979年12月。ISBN 978-4-8416-0611-9。
- 松谷健二『東ゴート興亡史 - 東西ローマのはざまにて』中央公論新社〈中公文庫BIBLIO B74〉、2003年4月(原著1994年)。ISBN 978-4-12-204199-8。
- 松本宣郎「第3章 ローマ帝政下のイタリア」『イタリア史』北原敦編、山川出版社〈新版世界各国史 15〉、2008年8月。ISBN 978-4-634-41450-1。