ショパン猪狩
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(東京コミックショウから転送)
ショパン 猪狩 | |
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本名 | 猪狩 誠二郎 |
生年月日 | 1929年6月20日 |
没年月日 | 2005年11月13日(76歳没) |
出身地 |
日本 東京府荏原郡目黒町 |
言語 | 日本語 |
グループ名 | 東京コミックショウ |
他の活動 | 女子プロレスの指導 |
配偶者 | 猪狩千重子 |
親族 | |
弟子 | 八坂一夫、谷幸一、マイウェイ昌彦、とみーとみー |
ショパン 猪狩(ショパン いがり 、1929年6月20日 - 2005年11月13日)はコメディアン。本名は猪狩 誠二郎(いがり せいじろう)。
子供のころに見た覗きからくりをヒントにアラブ人風の顔・派手な衣装で「ヘェ〜イ!!レッドスネェ〜ク!!!カモォ〜ン!!」と言いつつ笛を吹き、3つの壷からカラフルな蛇の縫いぐるみをニョロニョロと登場させる芸「三蛇調教」で人気を博す。他にマジックも演じており、相方が突っ込みを入れたりするコミック的な要素を取り入れた芸もしていた(マジックの最中に「手順がおかしい」と言う、ナイフを突き刺すマジックで「痛い」と言う等)。
来歴・人物
[編集]ボクシングの経験があるほか、第二次世界大戦前、上海でプロレスのセコンドを務めるなど格闘技に精通。1948年、兄とともに三鷹市に創設した道場で、妹を含めた女性数人に日本初の女子プロレスの指導を行う[1]。
1957年に榎本健一の一座にいた鯉口潤一と『東京コミックブラザーズ』(後に『東京コミックショウ』と改称)を結成。後に鯉口が弟子の八坂一夫、谷幸一を連れて脱退し、妻の千重子や娘と舞台を務めた。1993年3月末で舞台を引退。
2005年に心不全で死去。76歳没。
家族
[編集]- 妻 - 猪狩千重子:松竹少女歌劇団出身、相方(後見)を務める。
- 兄 - パン猪狩:浅草の伝説的なコメディアンにしてコミックバーマスター。故人。
- 妹 - 猪狩定子(リリー猪狩):日本人初の女子プロレスラーと言われている[2][3][4]。
出演作品
[編集]バラエティ
[編集]CM
[編集]- 東京営繕組合(1986年)
- 夢工場ドキドキパニック TVCM (1987年)
脚注
[編集]- ^ 『ワイセツ物陳列罪だった時代』写楽1983年7月号p37
- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
- ^ 猪狩定子の世界(1)巣鴨編1 【Beacon Television 1】 - YouTube(放送作家の川崎隆章のYouTubeチャンネルより)
- ^ 西条昇の浅草エンタメ散歩 2020年9月24日
出典
[編集]関連文献
[編集]- スネークショウの箱の中 ISBN 978-4-380-95226-5
関連項目
[編集]- 日本お笑い史
- 夢工場ドキドキパニック (CM出演)
外部リンク
[編集]- にぎわい座芸人伝「東京コミックショウ」 ‐ 横浜にぎわい座 (2022年) 筆者は三代目館長の布目英一。