コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

東入植地

この記事は良質な記事に選ばれています
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東入植地
Eystribyggð
Kujataa
所在地 グリーンランドの旗 グリーンランド クヤレック[1]
座標 北緯61度09分52秒 西経45度35分53秒 / 北緯61.16444度 西経45.59806度 / 61.16444; -45.59806
種類 遺跡
歴史
時代 中世(10世紀 – 15世紀)
追加情報
所有者 公有地[2]
管理者 グリーンランド自治政府[2]
文化財指定 文化遺産保護法令をはじめ、各種保護法令の対象となっている[2]
2017年に世界遺産リスト登録。

東入植地(ひがしにゅうしょくち) (古ノルド語: Eystribyggð[3] ; グリーンランド語: Kujataa[4]) は、アイスランドヴァイキングたちによって985年頃からグリーンランドに建設された3つの入植地(東・中・西)の一つである。東入植地はそれらの中で最初にして最大の場所であり、最盛期には4000人が暮らした。日本語では「東入植地」[5][6]のほか、「東定住地[7]、「東地区[8]、「東居留地[9]、「東部居住地[10]などとも訳されている。

「東」入植地という名称から想起されるのとは違い、西入植地英語版の東ではなく、500 km南にある[11][Note 1]。そして、西入植地同様、グリーンランド南西部のエイリークスフィヨルド(Eiriksfjord / 古ノルド語: Eiríksfjörðr)やイガリク(村と同名のフィヨルド。別名エイナールスフィヨルド / 古ノルド語: Einarsfjörðr)といった長いフィヨルドの端に位置した[12][13]

その区画には、スカンジナビア風の農家およそ500件の遺跡群があり[14]ブラッタフリーズ英語版フヴァルセー英語版ガルダル英語版(ガルザル)、Dyrnæs英語版など、16聖堂の遺跡が含まれる。この入植地に関する最後の記録は1408年に挙行された結婚式のもので、これは西入植地の最北の集落が終焉を迎えた後の、50年から100年ほどが経った時期に当たる。15世紀に放棄された後、18世紀以降にイヌイットカラーリット)が進出して形成された農業景観も含めた代表的な遺跡5件が、2017年にUNESCO世界遺産リストに登録された。

歴史

[編集]
セルミリク・フィヨルド[15][16]。これは、東入植地の構成地域の一つであった。

グリーンランドにおけるヴァイキングの入植は、西暦980年代に始まった。そのとき、赤毛のエイリークに率いられたヴァイキングは、グリーンランドの3つの入植地の最初である東入植地(古ノルド語 : Eystribyggð)を築いた。東入植地は現在のクヤレックに広がっており、つまりそれは、エイリークスフィヨルド、イガリクフィヨルド、セルミクフィヨルドの入り口にあたる。西暦1000年ごろにはグリーンランドにおよそ5,000人の入植者がいたが、うち4,000人が東入植地に住んでいた[17]

赤毛のエイリークの妻は私設聖堂を建てていたとされるが、以降1世紀ほどの間は農場主が芝土で建てる小さな私設聖堂が普通だった[18]。しかし、12世紀にノルウェー王への入植者らの要請によって、ヨーロッパから初代常駐司祭アルナルドが派遣されると、共同体の規模に見合わない巨大な石造聖堂群が建てられるようになった[19]

13世紀のノルウェー王ホーコン4世の時に、グリーンランドの入植者たちはノルウェー領となることを求め、納税と引き換えに毎年の貿易船の来航を要請した[20]。この時のグリーンランドからの主力輸出品はセイウチの牙であり、西入植地近くの狩猟場から、東入植地を経由し、ノルウェーのベルゲンに運ばれた[21]

食生活

[編集]
ノース人の農場の遺構[Note 2][22]

中世ノース人入植地の食生活は、牧畜に基礎を置いていた。当初はブタの飼育も試みられたが、植生などとの相性からすぐに放棄された[23]ウシはあくまでも奢侈品として飼育されるにとどまり、牧畜の主力をなしたのはヒツジヤギだった[24]。なお、特に土地が痩せた西入植地の場合、小枝や低木でも食べられるヤギの比率が時代ごとに高まっていったが、東入植地の中でも特に生産性の高い農場には、ウシを重視し続けることができた事例もあった[25]。そして牧畜を補うものとして重要だったのがシンリントナカイアザラシである[26]。農耕については、亜麻をノルウェーから持ちこんだ形跡がある[27]

中世の温暖期が終わり、14世紀に際立った寒冷化が始まると、冬場の牧草の需要が増大する一方、牧草地の生産性は低減したらしい。発掘調査で見つかった骨の同位体分析からは、東入植地の定住生活が終わりに近づくに従い、海産物の重要性が増していったことが分かる。というのは、初期入植者の食料の割合は、農産物が80%、海産物が20%だったのに対し、14世紀グリーンランドのヴァイキングの場合、海産物が50%から80%ほどに上昇しているからである[28]。この場合の海産物はおもにアザラシの肉であって、豊富に手に入ったはずの魚を食べていた形跡はほとんど見つかっていない[29]。これを、遺跡の海没などによる証拠の喪失と考える論者もいるが、ジャレド・ダイアモンドはそうした仮説に反論しつつ、ヴァイキングの出身地である北欧とは異なる食の禁忌が生まれ、魚が意図的に忌避された結果ではないかと推測した[30]

終焉

[編集]

東入植地に関する最後の記録は、1408年からフヴァルセー聖堂で挙行された結婚記録に見られる住民たちのものである[31]。それに対し、他のノース人の集落、特に西入植地が放棄されて50年から100年が過ぎていた[32][33][34]。東入植地は、1408年の記録から数十年程度は持続した可能性はあるが、確かなことは分からない[35]。その滅亡には、寒冷化も影響していたが、むしろ社会経済的要因との複合的理由があったと考えられている[8]。具体的には、ヨーロッパとイスラーム圏との交戦が一段落して、グリーンランドのセイウチの牙の輸出が振るわなくなったこと[Note 3][36]や、非ヨーロッパ人であるイヌイットとの文化交流を避け、寒冷化の中でも絶滅を免れたイヌイットの生活様式を取り入れようとしなかったこと[37]などである。生活様式の保守性は、埋没費用の増大も招く。従来通りに聖堂の建設などに貴重な資材を投入することで、放棄や移住という選択肢は選びづらくなる[38]。また、寒冷化で航路が閉ざされ、ノルウェーとの交流が途絶え、新しい司教が派遣されてこなくなったことは教会の権威を揺らがせた[39]。さらに、寒冷化で食料の分配が困難になったために、首長の権威も揺らいだのではないかと考えられている[40]

再発見後

[編集]

東入植地がヨーロッパによって再発見されるのは、1723年のことだった。2年前からグリーンランドに赴いていたノルウェーのルター派宣教師が、イヌイットの案内でフヴァルセーの聖堂遺跡にたどり着いたことで、東入植地の滅亡を確認したのである[41]。なお、18世紀以降、デンマーク人はヒツジ、ウシなどの牧畜を小規模に再開した[42]。そして、20世紀初頭からデンマーク政府がイヌイットの生活支援策として、南グリーンランドでの牧羊を支援したため、21世紀初頭の時点で(従事人口や域内総生産に占める割合は小さいものの)牧羊は漁業、観光業に次ぐグリーンランドの代表的産業の一つとなりつつある[42]

世界遺産

[編集]
世界遺産 グリーンランドのグヤダー:氷冠縁辺部における古代スカンジナビア人とイヌイットの農業景観
デンマーク
フヴァルセーの聖堂
フヴァルセーの聖堂
英名 Kujataa Greenland: Norse and Inuit Farming at the Edge of the Ice Cap
仏名 Kujataa au Groenland : agriculture nordique et inuite en bordure de la calotte glaciaire
面積 34.892 ha ha
(緩衝地帯 57.227 ha)
登録区分 文化遺産
文化区分 遺跡(文化的景観
登録基準 (5)
登録年 2017年
第41回世界遺産委員会
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
東入植地の位置(グリーンランド内)
東入植地
使用方法表示

登録経緯

[編集]

ノース人の東入植地の遺跡は、現在ではグリーンランド語でグヤダー (Kujataa) と呼ばれる[4]。その語の直訳は「南のグリーンランド」である[43]

この物件は2003年1月29日に世界遺産の暫定リストに記載され、2016年1月27日にユネスコ世界遺産センターに正式推薦された[1]世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は、他のヴァイキング入植地遺跡であるランス・オ・メドーカナダの世界遺産)のほか、北欧の農業関連遺産であるエーランド島南部の農業景観スウェーデンの世界遺産)、ヴェーガ群島ノルウェーの世界遺産)などと比べてもその世界遺産としての顕著な普遍的価値は認められるとしたものの、緩衝地帯での資源採掘などの土地利用状況が不明確であるとして「情報照会」を勧告した[44]。しかし、2017年の第41回世界遺産委員会では、ICOMOSの勧告も踏まえて当局が対応していることも評価され、逆転での登録が認められた[45]

これは、デンマークの世界遺産としては9番目、グリーンランドの世界遺産としてはイルリサット・アイスフィヨルドに次いで2番目(文化遺産としては初)である。

登録名

[編集]

世界遺産としての正式登録名は、英語: Kujataa Greenland: Norse and Inuit Farming at the Edge of the Ice Capフランス語: Kujataa au Groenland : agriculture nordique et inuite en bordure de la calotte glaciaireである[46]。その日本語訳は、以下のような揺れがある。

  • グリーンランドのグヤダー:氷冠縁辺部における古代スカンジナビア人とイヌイットの農業景観 - 日本ユネスコ協会連盟[47]
  • クジャタア・グリーンランド:氷帽周縁部におけるノース人とイヌイットの農業地域 - 世界遺産検定事務局[48]
  • クヤータ・グリーンランド:氷帽周縁部でのノース人とイヌイットの農業 - 古田陽久古田真美[49]
  • クヤタグリーンランドの氷帽縁辺部でのノース人とイヌイットによる農業景観 - 『なるほど知図帳』[50]
  • クヤータ・グリーンランド:氷帽周縁部のノース人とイヌイットの農業景観 - 『今がわかる時代がわかる世界地図』[51]
  • クジャターグリーンランド:古代ノース人とイヌイト人の氷原端農業 - プレック研究所[45]

登録基準

[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

世界遺産委員会は、この農牧業地域を、アイスランドから来て10世紀以降に定住し始めたノース人の漁師・農牧業従事者たちの歴史と文化、および農業と漁撈に基礎を置く経済が18世紀末頃に発達した先住民イヌイットの歴史と文化を伝えるものと見なした[33]。これら2つの文化群の接触と混合は、耕地、牧草地、海獣の狩猟場によって特徴づけられる文化的景観を作り出した。グヤダーはまた、北極地方における農業の最初の移入例であり、ノース人たちのヨーロッパ以外での最初の入植例となっている[47][33][34]

なお、自然遺産の基準は適用されていないが、地質学者らの研究対象となっている火成岩帯などが存在することから、ICOMOSの勧告書では、そちらの価値についても言及された[45][52]

構成資産

[編集]

世界遺産の登録対象になっているのは、以下の5件である[Note 4]。いずれもグリーンランドの地方行政区画上は、クヤレック(クヤセック)に含まれる[1]

世界遺産登録範囲
ID 画像 登録名 登録面積(単位 ha 緩衝地帯面積(単位 ha) 緯度・経度
1536-001 カッシアグスク
Qassiarsuk
11.342 7.703 北緯61度9分52秒 西経45度35分53秒 / 北緯61.16444度 西経45.59806度 / 61.16444; -45.59806
カッシアグスクは、かつてブラッタフリーズ英語版と呼ばれ、赤毛のエイリークが建設したとされる農場の遺跡がある[7]。また西暦1000年頃の教会の遺構はエイリークの妻が建てたとされている[7]。5件の構成資産の中では、観光客数が多い[53]
1536-002 イガリク
Igaliku
8.287 49.524 北緯61度0分6秒 西経45度22分29秒 / 北緯61.00167度 西経45.37472度 / 61.00167; -45.37472
イガリクにはノース人の牧羊場の遺跡が残る[53]。かつてガルダルの司教領があった場所であり、大聖堂も建てられていた[53]。その大聖堂は、アイスランドの大聖堂に匹敵する規模で、集落の人口規模からすると不釣り合いな大きさとされる[54]。豊かな牧草地を擁したが、ジャレド・ダイアモンドは、東入植地が終焉に近づいた時に、周辺の困窮した入植者が殺到して滅びたのではないかと推測した[55]。また、19世紀から現代までの住居群があり、イヌイット文化とキリスト教文化の交流を見て取れる墓地なども残る[53]
1536-003 Sissarluttoq 339 北緯60度53分48秒 西経45度29分42秒 / 北緯60.89667度 西経45.49500度 / 60.89667; -45.49500
ノース人の牧草地だった場所で、関連する施設群の遺構が残る[53]
1536-004 ヴァトナヴェルフィ
Tasikuluulik (Vatnahverfi)
7.542 北緯60度50分52秒 西経45度23分24秒 / 北緯60.84778度 西経45.39000度 / 60.84778; -45.39000
ヴァトナヴェルフィ(ヴァトナハヴェルフィ)は東入植地の中では「最も豊かな農業地域の1つ」[11]で、その遺構から、スカンディナビアなどと同じような農場が営まれていたと考えられている[56]。しかし、氷河でできた渓谷に形成されていた分、氷河から吹き付ける風のせいで牧草の生育不良や土壌侵食が起こり、放棄されることになった[57]
1536-005 フヴァルセー
Qaqortukulooq (Hvalsey)
7.382 北緯60度47分33秒 西経45度50分4秒 / 北緯60.79250度 西経45.83444度 / 60.79250; -45.83444
フヴァルセーには、ノース人の遺跡が11件、チューレ人英語版の遺跡が2件残る[58]。「クジラの島」の意味を持つフヴァルセーの遺跡は、構成資産5件の中でも「ノース人の最も象徴的な遺跡」とされる[58]。上述の通り、東入植地の最後の記録は、フヴァルセーの聖堂 (Hvalsey Church) で行われた婚礼に関するものである。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 西入植地と東入植地の位置関係は、17世紀に東入植地を訪れようとしたデンマークとノルウェーの遠征隊が、名前に惑わされて見当違いな方向を探索する原因となり、目的地には辿り着けなかった(ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 340, 427)。
  2. ^ Tingimuitの緯度・経度は次の通り。北緯61度08分42秒 西経45度37分00秒 / 北緯61.1449度 西経45.616600000000005度 / 61.1449; -45.616600000000005
  3. ^ アジア、アフリカの象牙の入手がしやすくなったためである。他方、奢侈品の流行の変化も影響したとされる(Z・ゾーリッチ 2017, p. 88)。
  4. ^ 一覧表の情報のうち、構成資産のID、英語登録名、登録面積、緩衝地帯面積、緯度・経度はKujataa Greenland: Norse and Inuit Farming at the Edge of the Ice Cap - Multiple Locations世界遺産センター、2019年10月10日閲覧)による。物件の概要説明の出典は脚注参照。

出典

[編集]
  1. ^ a b c ICOMOS 2017, p. 160
  2. ^ a b c ICOMOS 2017, p. 168
  3. ^ Vésteinsson, Jochimsen & Ledger 2016, p. 25.
  4. ^ a b Vésteinsson, Jochimsen & Ledger 2016, p. 26.
  5. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005
  6. ^ A.グーレウィチ『バイキング遠征誌』大陸書房、1971年、p.164
  7. ^ a b c ヒースマン 2000, pp. 111–112
  8. ^ a b 小澤, 中丸 & 高橋 2016, p. 48
  9. ^ Z・ゾーリッチ 2017
  10. ^ ピーター・シュレダーマン 1998, p. 32
  11. ^ a b Z・ゾーリッチ 2017, p. 84
  12. ^ Orri Vésteinsson; Anja Jochimsen; Paul Ledger (2016-1) (英語) (pdf), Kujataa – a subarctic farming landscape in Greenland, Municipalité de Kujalleq - Gouvernement du Groenland, http://kujalleq-kp17.cowi.webhouse.dk/download/kujataa__unesco_nomination_2015.pdf 2018年2月22日閲覧。 .
  13. ^ (en) P. Sture Ureland および Iain Clarkson, « 2 - North place-names : 2.2 - The Eastern Settlement », dans P. Sture Ureland et Iain Clarkson, Language Contact across the North Atlantic : Proceedings of the Working Groups held at the University College, Galway (Ireland), 1992 and the University of Göteborg (Sweden), 1993, Walter de Gruyter,‎ 1er janvier 1996, 566 p. (lire en ligne), pages 129 à 131.
  14. ^ (en) Lisbeth M. Imer, « The tradition of writing in Norse Greenland – writing in an agrarian community », dans Hans Christian Gulløv (dir.), Northern Worlds – landscapes, interactions and dynamics : Research at the National Museum of Denmark - Proceedings of the Northern Worlds Conference Copenhagen 28-30 November 2012, vol. 22, Copenhague, PNM (Publications from the National Museum), coll. « Studies in Archaeology & History »,‎ (lire en ligne), pages 340 et 341.
  15. ^ (en) Anker Weidick, « Table 12-14 : Table 12 : Geographic place-names of the cited natural features and towns in Greenland », dans Anker Weidick, Richard S. Williams Jr et Jane G. Ferrigno, Greenland, Institut d'études géologiques des États-Unis - Département de l'Intérieur des États-Unis, coll. « Satellite Image Atlas of Glaciers of the World »,‎ (lire en ligne).
  16. ^ (en) Collectif - National Geospatial-Intelligence Agency, Sailing Directions Greenland and Iceland, Springfield, Virginia National, National Geospatial-Intelligence Agency - Gouvernement fédéral des États-Unis,‎ (lire en ligne [PDF]), chap. 13, page 95 à fin chapitre.
  17. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 351
  18. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 383
  19. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 384
  20. ^ Z・ゾーリッチ 2017, p. 86
  21. ^ Z・ゾーリッチ 2017, pp. 86–89
  22. ^ "Tingimiut (Ø 2) spindle-whorl - Detail Map". le base de données Runes (英語). Académie des sciences de Göttingen. 2018年6月4日閲覧.
  23. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 352
  24. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 352–353
  25. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 353
  26. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 359
  27. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 358
  28. ^ Jette Arneborg; Jan Heinemeier; Niels Lynnerup (1999). "Change of diet of the Greenland vikings determined from stable carbon isotope analysis and 14C dating of their bones" (pdf) (英語). pp. 157–168. 2018年2月28日閲覧
  29. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 360–361
  30. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 362–365
  31. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 426
  32. ^ Dale Mackenzie Brown (28 February 2000). "The Fate of Greenland's Vikings" (英語). 2018年4月16日閲覧.
  33. ^ a b c "Kujataa au Groenland : agriculture nordique et inuite en bordure de la calotte glaciaire (Danemark)". le site du Comité du patrimoine mondial. UNESCO. 2017年12月22日閲覧.
  34. ^ a b Conseil international des monuments et des sites (ICOMOS). "Kujataa au Groenland : agriculture nordique et inuite en bordure de la calotte glaciaire (Danemark) no 1536" (pdf). le site du Comité du patrimoine mondial. UNESCO. 2017年12月22日閲覧.
  35. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 426–427
  36. ^ Z・ゾーリッチ 2017, p. 88
  37. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 433–434
  38. ^ Z・ゾーリッチ 2017, p. 89
  39. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, p. 428
  40. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 428–429
  41. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 427–428
  42. ^ a b 小澤, 中丸 & 高橋 2016, pp. 55–56
  43. ^ (en) Einar Lund Jensen、Hans Christian Gulløv および Kristine Raahauge, « Terms for the Population in the Cap Farewell Area », dans Cultural Encounters at Cape Farewell : The East Greenlandic Immigrants and the German Moravian Mission in the 19th Century, vol. 38, Museum Tusculanum Press - Man & Society, coll. « Meddelser om Gronland »,‎ , 339 p. (lire en ligne).
  44. ^ ICOMOS 2017, pp. 163–166, 172
  45. ^ a b c プレック研究所 2018, pp. 282–283
  46. ^ "Danemark". le site officiel de l'Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture (UNESCO). 2017. 2017年12月23日閲覧.
  47. ^ a b 日本ユネスコ協会連盟 2018, p. 24
  48. ^ 世界遺産検定事務局『くわしく学ぶ世界遺産300』(3版)マイナビ出版、2019年。ISBN 978-4-8399-6879-3 世界遺産アカデミー監修)(p.9)
  49. ^ 古田陽久; 古田真美『世界遺産事典 - 2018改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、2017年。ISBN 978-4-86200-213-6 (p.133)
  50. ^ 『なるほど知図帳 世界2018』昭文社、2017年、p.109
  51. ^ 『今がわかる時代がわかる世界地図 2018年版』成美堂出版、2018年、pp.142-143
  52. ^ ICOMOS 2017, p. 166
  53. ^ a b c d e ICOMOS 2017, p. 161
  54. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 384–385
  55. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 429–430
  56. ^ Z・ゾーリッチ 2017, pp. 84–85
  57. ^ ジャレド・ダイアモンド 2005, pp. 358, 398–399
  58. ^ a b ICOMOS 2017, p. 162

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]