東大寺造寺所
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東大寺造寺所(とうだいじぞうじしょ)とは、東大寺の造寺司であった造東大寺司の廃止後、造寺・造仏・造営の業務を引き継いだ機関。修理所とも呼ばれた。
概要
[編集]延暦8年3月16日(789年4月15日)に廃止された造東大寺司の事業を引き継ぐために発足、財源は東大寺の寺封5000戸(米10000斛相当)のうち、造営用に充てられていた1000戸(2000斛)分が財源に充てられた(ただし、延暦12年(793年)になって100戸分が新薬師寺に割譲されている)[1]。
造寺所は専当1名・知事4名を定員とし、任期は当初は6年、承和10年(843年)には4年とされた。寺僧たちの推挙によって、僧綱が承認し、別当が任命した。後に承認には朝廷の太政官牒が必要とされた。定員・任期は昌泰年間以後しばしば変更された。専当・知事の下に建築など実務にあたる各部署があったと推測され、元永元年(1118年)には木工方・瓦工方・鍛冶方などが置かれ、各方には大工-権大工-長-連という組織が確立していたことが知られている。
脚注
[編集]- ^ 『東大寺要録』によれば、延暦12年以後の900戸は丹波国・美作国・周防国・駿河国・上野国・上総国の6か国に分散していており、租である米、庸である絹・調である棉(真綿)・中男作物である油が徴収されていたという。
参考文献
[編集]- 堀池春峰「東大寺造寺所」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)