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東家一太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東家あずまや 一太郎いちたろう
本名 上林 薫
生年月日 (1978-10-08) 1978年10月8日(46歳)
出身地 日本の旗 日本東京都新宿区百人町
師匠 2代目東家浦太郎
弟子 東家一陽
活動期間 2007年 -
配偶者 東家美
所属 日本浪曲協会
公式サイト 浪曲師 東家一太郎 ホームページ
備考
日本浪曲協会理事

東家 一太郎(あずまや いちたろう、1978年10月8日[1] - )は、日本の浪曲師東京都新宿区百人町出身[1]。本名は上林 薫。相三味線(曲師)は妻の東家美[1][2]。一般社団法人日本浪曲協会理事[1]

来歴

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早稲田大学第一文学部日本文学専修を卒業。2007年7月に、2代目東家浦太郎に入門[1]。浦太郎初めての男弟子として「一太郎」と命名される。

2008年3月に島村会館の「東家浦太郎の会」で初舞台を踏んだ[1]

2013年2月には、文化庁主催 「第2回集まれ!次世代の表現者たち 選抜公演」に選抜出演する。

2013年6月、浅草木馬亭にて年季明け名披露目をおこない[1]、翌日に美と結婚[3]

2018年、第73回文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞を受賞[1]澤勇人玉川太福東家孝太郎らと「浪曲チームHAIDAKO(ハイダコ)」を結成した[4]ほか、2014年から毎年公演する「いち・かい」、浅草木馬亭での浪曲定席、日本浪曲協会広間での雷門会、東武練馬三凱亭での努力会などを主催している。

演目

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師匠譲りの「野狐三次」「赤穂義士伝」「太閤記」などのほか、「シートン動物記~オオカミ王ロボ」「一太郎の浅草案内」など自作の新作物も複数ある。

【古典演目】

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忠臣蔵 赤穂義士伝 
『弥作の鎌腹』『大高源吾 腹切魚の別れ』『安兵衛道場破り』『安兵衛高田馬場駆け付け』『孟子の末裔 武林唯七』     
野狐三次 連続読み
『観音堂の捨て子』『木ッ端売り』『天王祭り』『彫物(入墨)の由来』『大井川の義侠』『音羽屋格子』『普請場の恋』『間違いの婚礼』
『宇津ノ谷峠』『箱根山』『大師詣で』『三次と小花』『養父の仇討ち』『三次と伊賀守 親子対面』
夕立勘五郎 連続読み
『世直し初暦』『花屋金兵衛の衷心~松金屋 勘五郎眉間割り』『さんばら辰(上)』『さんばら辰(下)』『花屋金兵衛の腕斬り~信濃屋善八』『越後上り』『輪島千代蔵』『三国峠』
相撲 力士伝
『雷電 小田原情相撲』『横綱谷風 長屋の土俵入り』
江戸が舞台の話
『狸の恩返し』『神田松』『長屋の置き土産』『紺屋高尾』
歴史物
『五稜郭始末記』『阿漕ヶ浦』『恩讐藤戸渡り』『光圀青春暴走曲』
侠客伝
『銚子の五郎蔵』『国定忠治と清水頑鉄』『少年ねずみ小僧』  
日蓮聖人御一代記
『龍ノ口法難』『誕生』『雨乞い』『鰍沢』
名僧伝
『一休の婿入り』『石童丸』
民話浪曲
『たにしの田三郎』
怪談物
『怪談浪曲小夜衣草紙』『怪談牡丹燈籠』 
近代物
『浪曲番外地 雪の網走』『人生劇場』『暁の歌』
太閤記 連続読み
『生い立ち』『日吉と小六』『初陣』『矢作橋』『織田家召し抱え』『藤吉郎嫁取り』『佐屋川合戦』『三日普請』『清洲城の大激論』『桶狭間』

【新作演目】

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案内浪曲
『一太郎の浅草案内』『横浜案内』『旭川案内』『船橋案内』『ふげん社案内』
シートン動物記
『オオカミ王ロボ』、『下町のネコキティ』 
北鎌倉「緑の洞門」の物語
『浪花節だよ洞門は』 
七不思議浪曲
『江戸の都市伝説 本所七不思議』 『幻の深川怪談七不思議』
源平の最強カップル 旭川将軍木曽義仲・巴御前
『倶利伽羅合戦 火牛の計』
横浜蒔田の吉良氏
『まぼろしの城と鶴松姫』
横浜の恩人 原三溪伝
『ヨコハマ今昔濱自慢』
長野県大岡の民話
『がくどう様とお種池』
岩手県紫波町の昔話
『かじやの権三』
二宮金次郎伝
『少年時代』『仕分け人篇』  
早稲田大学浪曲
『バンカラ君が行く』
一代記浪曲
『二代東家浦太郎ものがたり』『ヒマラヤ小学校 吉岡大祐ものがたり』

賞歴

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出演

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テレビ

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テレビアニメ

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MV

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弟子

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  • 東家一陽

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 東家 一太郎 | (一社)日本浪曲協会” (2019年5月22日). 2021年12月22日閲覧。
  2. ^ 旧幕府軍戦没者しのぶ 碧血碑慰霊祭 東家一太郎さんらの浪曲奉納も / 函館新聞電子版”. 函館新聞電子版. 2021年12月22日閲覧。
  3. ^ 杉江松恋『浪曲は蘇る 玉川福太郎と伝統話芸の栄枯盛衰』、原書房、2022年1月
  4. ^ 若手浪曲師4人で忠臣蔵/国立演芸場に討ち入り!”. 四国新聞社. 2021年12月22日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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