東御嶽 (竹富町新城上地)
東御嶽(あーるうがん、あーりぃうがん[1])は、沖縄県竹富町の新城島(上地島)にある御嶽。磯御嶽(いしゃーうがん、いしょーうがん)、グスクウガン[2](クースクウガン[3])、ザンヌオン[4]とも呼ばれる。人魚神社(にんぎょじんじゃ)という通称で呼ばれることもあるが、神社ではない[5]。
概要
[編集]新城島を構成する2島のうち、北側に位置する上地島には4つの御嶽がある。東御嶽はそのうち最も歴史が古く、美御嶽(ナハウガン)に次ぐ聖地とされる御嶽である。上地島唯一の集落の東(アール)に位置し、龍宮の神を祀る[2][3]。御嶽は岩石の台地上にあり、拝所の裏には石垣で囲まれた屋敷跡がある[6]。周辺からはパナリ焼きが出土する[4]。
御嶽に続く道には「立ち入り禁止」の札が掛かっており、氏子以外は鳥居から先に立ち入ることはできない[7]。
歴史
[編集]島の元御嶽(ムトゥウガン)とも呼ばれる御嶽で、上地島に人が住むようになった当初に創建されたと伝えられる[6]。上地島の歴史には不詳な点が多いが、1477年に朝鮮・済州島の漂流民3人が与那国島に漂着し、島伝いに送還された際に新城島の記録を残しており、その頃には住民が定住していたことが分かる[8]。
琉球王府により人頭税が課せられた時代には、水が乏しく農作物が育たない新城島にはジュゴン(ザン、ザヌ)の干肉の貢納が命じられた。この御嶽には捕獲したジュゴンの頭骨が奉納され、ジュゴンを含む豊漁が祈願された[9][1][4]。かつて御嶽にはジュゴンの頭骨が山積みされていた[10]が、盗まれる等してその数は減少している[7]。「ザンヌオン」という別名は「ジュゴンの御嶽」という意味であり、「磯御嶽」の「磯」には「海」という意味もある[6][3]。
祭祀
[編集]島の三大行事である豊年祭(ブル)、節祭(シヰチヰ)、結願祭(キチュガン)で、祈願の対象となる[9]。
神司[注釈 1]は安里家(アールアサデー)、カマンガー[注釈 2]は新家(アーラエー)である[2]が、2013年時点で神司は不在である[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “新城島”. おきなわ物語. 一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー. 2022年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月14日閲覧。
- ^ a b c 町史 2013, p. 412.
- ^ a b c 平敷令治「新城島のアカムタ・クロムタ祭祀 : 上地のウフプール覚書」『沖縄国際大学文学部紀要 社会学科篇』第3巻第1号、沖縄国際大学、1975年3月、55-69頁、ISSN 02870681。
- ^ a b c 崎原恒新『八重山ジャンルごと小事典』ボーダーインク、1999年8月1日、91頁。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会「新城島」『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』角川書店、1986年7月8日、130頁。
- ^ a b c 町史 2013, p. 414.
- ^ a b “島を往く・船人くらし(8) 新城島(竹富町)”. 沖縄タイムス. (1999年12月18日). オリジナルの2000年9月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ 町史 2013, pp. 97–101.
- ^ a b c 町史 2013, p. 415.
- ^ 町史 2013, p. 34.
参考文献
[編集]- 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第五巻 新城島』2013年11月30日。