東海市立名和小学校
表示
東海市立名和小学校 | |
---|---|
北緯35度3分8.0秒 東経136度54分49.9秒 / 北緯35.052222度 東経136.913861度座標: 北緯35度3分8.0秒 東経136度54分49.9秒 / 北緯35.052222度 東経136.913861度 | |
過去の名称 | 上野町立名和小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東海市 |
設立年月日 | 1904年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210007435 |
所在地 | 〒476-0002 |
愛知県東海市名和町山東10 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
東海市立名和小学校(とうかいしりつなわしょうがっこう)は、愛知県東海市名和町にある公立小学校。
概要
[編集]- 東海市北部の小学校であり、校区は名和町(秋葉、一枚畑、石塚、榎戸、奥前後、奥小松揃、奥平地、北寺廻間、北三宅山、北向イ山、北蕨、北本郷、北三ケ月、北神田、口前後、口平地、口小松揃、座頭ケ峰 、茂り、城谷、涼戸、前郷、高ノ宮前、塚森、中前後、中小松揃、中平地 、二反表、西三宅山、西前郷、濁池、西垣内、東三宅山(一部)、東田、東萌山、東垣内、船津、法秀、南三宅山、南寺廻間、水田、南本郷、南三ケ月、南神田、向田、向イ山、山東、龍ノ脇、蕨山、一ノ下、一本木、池西、池東、池末、岡前、奥平戸、奥油田、岡廻間、奥山之田、関東山、欠ノ脇、北脇、北埋田、狐廻間、北之山、北小倉、蛇骨、蛇骨山、神明、寺徳、砂崎、高ノ宮前、天王前、堂ノ前、戸石、戸石東、寅新田、中埋田、中屋敷、西高根、浜須賀 、墓根山、平子、平松、日向根、平戸口、 東岨、東高根、吹付、細田、細田廻間、馬坂、三ケ月外、南廻間、南埋田、南之山、南蕨、南小倉、向イ、向廻間 、森ノ上、山畑、焼山、家下、山ノ田、四ノ下、寄山、横道)新宝町の一部、浅山1-3丁目である。公立中学校の進学先は東海市立名和中学校、東海市立上野中学校である[1]。
沿革
[編集]元は知多郡上野町北部(旧・名和村)の小学校である。1969年に東海市立名和小学校と改称した後、1972年に東海市立緑陽小学校を分離している。
- 1904年(明治37年) - 名和尋常高等小学校として開校する。
- 1906年(明治39年)9月1日 - 名和村、荒尾村、富木島村が合併し、上野村が発足。
- 1907年(明治40年)1月1日 - 上野第一尋常高等小学校に改称する。
- 1911年(明治44年) - 校舎を増築する。
- 1917年(大正6年) - 上野第一補習学校を併設する。
- 1923年(大正12年) - 校舎を増築する。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 上野村が町制施行し、上野町となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 名和国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 上野町立名和小学校に改称する。
- 1958年(昭和33年) - 本館(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1967年(昭和42年) - 中館(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1968年(昭和43年) - 北館(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 上野町と横須賀町が合併し、東海市が発足。同時に東海市立名和小学校に改称する。
- 1970年(昭和45年) - 体育館が完成する。
- 1971年(昭和46年) - 分校を設置する。
- 1972年(昭和47年) - 分校が東海市立緑陽小学校として独立する。
- 1974年(昭和49年) - 特別教室が完成する。
- 1992年(平成4年) - プールが完成する。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]- 東海市立上野中学校
- 東海市立名和中学校
- 東海市立緑陽小学校
- 東海市立名和保育園
- 碧海信用金庫東海北支店
- MEGAドン・キホーテ東海名和店
- 聚楽園公園
- クラウン自動車学校(閉業)
- 名鉄常滑線名和駅
- 伊勢湾岸自動車道・名古屋高速4号東海線・西知多産業道路東海JCT
参考文献
[編集]- 東海市史 通史編 (東海市史編さん委員会 1990年) P.566 - 586 652 - 690 963 - 974