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国鉄ケ90形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケ90形蒸気機関車
東濃鉄道A形(後のケ90形)
東濃鉄道A形(後のケ90形)
基本情報
運用者 東濃鉄道(初代)鉄道省
製造所 大日本軌道鉄工部
製造年 1918年
製造数 2両
引退 1930年
主要諸元
軸配置 B (0-4-0)
軌間 762 mm
全長 4,581 mm
全幅 1,676 mm
全高 2,743 mm
機関車重量 6.1 t(運転整備時)
動輪上重量 6.1 t(運転整備時)
固定軸距 1,219 mm
動輪径 559 mm
軸重 3.0 t(各軸均当)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)
152 mm × 254 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 11.2 kgf/cm2 (1.098 MPa; 159.3 psi)
火格子面積 0.25 m2
全伝熱面積 7.99 m2
全蒸発伝熱面積 7.99 m2
煙管蒸発伝熱面積 1.30 m2
火室蒸発伝熱面積 6.69 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 0.18 t
水タンク容量 0.79 m3
制動装置 手ブレーキ
シリンダ引張力 1,000 kg
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ケ90形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道省に在籍した、特殊狭軌線タンク式蒸気機関車である。

概要

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当初は東濃鉄道(初代)に所属していた機関車で、1918年大正7年)2月に大日本軌道鉄工部(後の雨宮製作所)で2両(製造番号176・177)が製造された。東濃鉄道は当初、他の軽便鉄道と同様にドイツコッペルの機関車の導入を企図したと考えられるが、折しも第一次世界大戦の最中で、交戦国であるドイツからの輸入は途絶しており、そこに付け込んで販路を延ばしたのが大日本軌道であった。

車軸配置0-4-0 (B)、単式2気筒飽和式のサイド・ウェルタンク機関車。運転整備重量は6トン、固定軸距は1,219 mm[注 1]

運用

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東濃鉄道の開業に合わせて導入され、A形1・2)と付番された。1926年(大正15年)9月25日、東濃鉄道の新多治見 - 広見間が国有化(太多線)されたことに伴い、ケ90形ケ90・ケ91)と改番された[注 2]。本形式はケ100形よりも若干大型であったが、100番台が埋まっていたため、小さい形式数字を付与されている[注 3]

1928年昭和3年)9月30日の太多線の改軌工事完了まで使用され[注 4]浜松工場で保管ののち、1930年(昭和5年)5月に廃車となった。その後も解体されることなく、浜松工場で保管された。

保存

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本形式は2両とも現存し、共に静態保存されている。

ケ90形保存機一覧
画像 番号 所在地 備考
写真はJR東海社員研修センター時代 ケ90 愛知県名古屋市港区金城ふ頭3丁目2番2
リニア・鉄道館
静態保存
ケ91 静岡県浜松市中央区菅原町
堀留ポッポ道
静態保存

ケ90

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ケ91

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  • 1951年(昭和26年)10月10日[2] - 東京の交通博物館に搬入され展示[3]
  • 1957年(昭和32年)6月 - 交通博物館の増築に伴い、浜松工場に返却。
  • 1963年(昭和38年)5月3日 - 前年に開館した浜松市児童会館に寄贈され、正面玄関前に展示[4]
  • 1967年(昭和42年)3月 - 前年12月より浜松工場で行われていた修繕が完了し、児童会館向かいの五社公園に搬入[5]
  • 1982年(昭和57年)- 分解して錆止めを施し、欠損した部品の復元などの大規模修繕[6]
  • 1987年(昭和62年)- 浜松市児童会館の閉館に伴い、堀留ポッポ道(浜松工場引込線廃線跡)に移設[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 翌年(1919年)に鉄道院が工事用に導入したケ100形(第1種)によく似ているが、ケ100形がウェルタンクのみであったのに対し、本形式は小型のサイドタンクを有しているため運転整備重量が1トン重い。
  2. ^ 東濃鉄道には4両の蒸気機関車が在籍したが、本形式のみが買収対象となった。買収されなかった2両(3・4)は、広見 - 御嵩間を引き継いだ東美鉄道に継承された。
  3. ^ 国鉄の特殊狭軌線の蒸気機関車としては最小の形式数字である。
  4. ^ 中部鉄道学園時代のケ90の解説板には「東海道線丹那トンネルの建設の際 資材輸送に活躍しました」と書かれていたが誤りである。

出典

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  1. ^ C57 139とケ90をJR東海博物館(仮称)への展示のため搬出”. モデラーな日々 (とれいんスタッフブログ). エリエイ (2011年2月11日). 2023年8月11日閲覧。
  2. ^ 年表: 昭和26年 (1951)」『50年史』、交通博物館、1972年10月14日、65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)“軽便機関車(浜松工場所属)実物搬入(10.10)”とある。
  3. ^ 交通博物館」『社会科絵物語: イコちゃんの見学バス (Bコース)』、さ・え・ら書房、1955年3月25日、7-8頁。(国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ jidokaikanの投稿(409850755799831) - Facebook
  5. ^ jidokaikanの投稿(844185489033020) - Facebookjidokaikanの投稿(700536366731267) - Facebook
  6. ^ jidokaikanの投稿(266742210110687) - Facebookjidokaikanの投稿(272126352905606) - Facebook
  7. ^ 森岡友治「浜松市に保存の「ケ91」が引越し」『鉄道ファン』No.310、1987年2月1日、125頁。 

参考文献

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  • 臼井茂信『日本蒸気機関車形式図集成 2』誠文堂新光社、1969年9月20日、483頁。 
  • 臼井茂信「雨宮製作所 (大日本軌道)」『機関車の系譜図 2』交友社、1973年11月1日、356-375頁。 
  • 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 9」『鉄道ファン』No.272、1983年2月1日、74-81頁。 
  • 金田茂裕『形式別・国鉄の蒸気機関車 国鉄軽便線の機関車』エリエイ出版部、1987年1月1日、2頁。 

外部リンク

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