杵家彌七
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(杵家弥七から転送)
杵家 彌七(きねいえ やしち)は、長唄三味線方の名跡。新字体は弥七。初代から3代目を杵屋、4代目以降を杵家(きねいえ)とした。当代6代目。2代目から5代目までが女性。
- 俗に初代杵屋彌七 - 初代杵屋彌十郎。
- 俗に2代目杵屋彌七 - 初代彌十郎の門弟。
初代
[編集]2代目
[編集]1874年に2代目彌七を名乗る。女性。
3代目
[編集]1916年に3代目彌七を名乗るも同年死去。女性。
4代目
[編集](明治23年(1890年)12月10日 - 昭和17年(1942年)12月17日)本名は赤星よう。
東京京橋の生まれ、伊丹の商人坂上与三郎と初代杵家七媼の次女。12代目杵屋六左衛門と5代目杵屋勘五郎に師事し彌壽治となり1916年に3代目彌七死去に伴い4代目彌七を襲名。1930年より従来杵屋彌七だったのを杵家彌七と表記させた。洋楽にも精通し夫は赤星國清。4代目を記念して、杵家会館は、「四世杵家彌七生誕百年記念会館」という名前が付けられている。
5代目
[編集](大正5年(1916年)8月5日 - 平成17年(2005年) 3月3日)本名は赤星輝子。
東京の生まれ、4代目彌七の娘。1949年に5代目彌七を襲名。1983年1月に長男に彌七の名を譲り2代目杵家七媼を襲名し引退した。
6代目
[編集]5代の長男として東京都杉並区に生まれる。本名・赤星輝幸。1970年成城大学文芸学部卒。1966年5月に堅田喜七、1970年4月に初代杵家彌祐を経て1983年1月に先代から譲られ6代目彌七を襲名。[1]
脚注
[編集]- ^ 『杵家史』121p
外部リンク
[編集]- 長唄杵家会のホームページです。 - 当代の杵家会