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稀音家浄観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杵屋浄観から転送)

稀音家 浄観(きねや じょうかん)は、長唄三味線方の名跡。墓所は初代・二代ともに文京区護国寺。

初代

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稀音家 浄観(きねや じょうかん、天保10年5月5日1839年6月15日) - 大正6年(1917年8月28日

本名は杉本観太郎。父は初代住田又兵衛1853年11月に初代杵屋六四郎の門弟。1856年中村座に出勤、杵屋四郎治を名乗る。1869年に大薩摩名浄観を家元より受ける。1870年11月に3代目杵屋三五郎の後継者で6代目杵屋三郎助を改名。1902年4代目杵屋勘五郎を襲名。1908年に稀音家浄観を名乗る。作曲に「晴天の鶴」がある。墓所は文京区護国寺

実の子は2代目、孫に4代目杵屋六四郎、曾孫に5代目杵屋六四郎がいる。

二代目

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2代目稀音家浄観

稀音家浄観(きねや じょうかん、1874年3月4日 - 1956年5月28日文化勲章受章者。

東京市神田生まれ。初代の子。本名は杉本金太郎。1888年3代目杵屋六四郎を襲名、1926年「稀音家」と改姓。4代目吉住小三郎とともに長唄研精会を興し、芝居を離れた長唄演奏の確立へ道を開き、新曲発表会を開き、長唄音楽に貢献。1929年東京音楽学校に長唄の選科が開設され、小三郎とともに講師を務め、のち教授、1939年六四郎の名を長男に譲り、2代目浄観を襲名、1944年退官、1955年文化勲章受章、文化功労者。妻は柳橋「若松屋」の元芸妓[1]。墓所は文京区護国寺

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代表曲に「熊野」「横笛」「元寇」などがある。以下、他の作曲。

  • 横笛
  • 熊野
  • 累が淵
  • 鉢の木
  • 蓬莱山
  • 滑川(上)
  • 兎と亀
  • 虫の声
  • 阿国歌舞伎
  • 白露
  • 影法師
  • 井筒
  • 芦の葉
  • 佛法僧
  • 松の寿
  • 東山
  • 後井筒
  • 春雨
  • 花暦
  • うぐいす
  • 此君
  • お夏清十郎
  • 元寇 -((昭和15年(1940年)、二代目稀音家浄観作曲、北原白秋作詞[2])
  • 八百比丘尼
  • 飛鳥
  • 里神楽
  • 猩々
  • 猿回し
  • 花くらべ

童謡

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  • あの子もねてる
  • わらいます
  • 風ふくな
  • あられ
  • からす
  • 雀の宿
  • 雛祭
  • 紅がらとんぼ

合作

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吉住小三郎との合作。

  • 四季の色音
  • 春遊
  • 胡蝶
  • 葵の上
  • 弁の内侍
  • 花咲爺
  • かちかち山
  • 舌切雀
  • 桃太郎
  • 千手
  • 鉢かつき姫
  • 島の景清
  • 一休禅師
  • 有喜大尽
  • 養老
  • 紀文大尽
  • 寒山拾得
  • お七吉三
  • 神田祭
  • 虎少将道行
  • 大正の栄
  • 新高砂
  • 琴の功
  • 櫻咲く国
  • 鯉物語
  • 相生の松
  • 千代見草
  • 都の栄
  • 楠の薫
  • 島の景清
  • 八た烏
  • みやこ風流

脚注

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  1. ^ 一世お鯉長谷川時雨、青空文庫
  2. ^ CD:コロムビアCOCJ-34017、「四代目吉住小三郎全集」12

関連項目

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