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松井命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松井 命(まつい まこと、1883年12月12日 - 1970年9月29日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将日野重工業社長。

経歴

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福井県出身。松井政治の二男として生まれる。名古屋陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1904年(明治37年)10月、陸軍士官学校(16期)を卒業。同年11月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。1909年(明治42年)11月、陸軍砲工学校高等科(15期)を優等で卒業した。

1910年(明治43年)12月から1914年(大正3年)3月までフランスに駐在し、帰国後、砲工学校教官となる。1917年(大正6年)5月から1919年(大正8年)5月まで欧州出張。1919年4月、工兵少佐に昇進し陸軍航空学校研究部員に発令された。

1924年(大正13年)2月、電信第1連隊付となり、同年3月、工兵中佐に進級。1925年(大正14年)5月、陸軍通信学校教官に就任し、1927年(昭和2年)9月、工兵大佐に昇進した。1928年(昭和3年)8月、電信第1連隊長となり、陸軍省兵器局器材課長、陸軍技術本部第2部長を歴任し、1932年(昭和7年)4月、陸軍少将に進級。

1935年(昭和10年)8月、陸軍築城部本部長に就任。1936年(昭和11年)3月、陸軍中将に進み工兵監となる。1937年(昭和12年)3月、第4師団長に親補され、西部防衛司令官を経て、1940年(昭和15年)3月、予備役に編入された。

その後、1942年(昭和17年)5月から1945年(昭和20年)11月まで日野重工業社長を勤めた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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親族

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  • 兄 松井順(陸軍中将)

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  2. ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。