松尾古墳
表示
松尾古墳 / 永田1号墳 | |
---|---|
墳丘・石室開口部 | |
所属 | 永田古墳群 |
所在地 | 長崎県壱岐市郷ノ浦町永田触758(字松尾) |
位置 | 北緯33度44分35.76秒 東経129度41分54.75秒 / 北緯33.7432667度 東経129.6985417度座標: 北緯33度44分35.76秒 東経129度41分54.75秒 / 北緯33.7432667度 東経129.6985417度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径10数m 高さ5m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀末 |
史跡 | 壱岐市指定史跡「松尾古墳」 |
地図 |
松尾古墳(まつおこふん)または永田1号墳(ながたいちごうふん)は、長崎県壱岐市郷ノ浦町永田触にある古墳。形状は円墳。永田古墳群を構成する古墳の1つ。壱岐市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]壱岐島南部、岳の辻から北東に広がるなだらかな丘陵上(標高約80メートル)に築造された古墳である。一帯では古墳12基からなる永田古墳群が分布し、本古墳はそのうち西端側に所在して最大規模の古墳になる。1977年(昭和52年)に石室実測調査が実施されている。
墳丘は南側を中心に崩壊・流失しているが、元の墳形は円形とみられ、直径約10数メートル・高さ約5メートルを測る。埋葬施設は両袖式の横穴式石室である。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室で、石室の石材には玄武岩の巨石を使用する。石室内の副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代後期の6世紀末頃と推定される[1]。
古墳域は1977年(昭和52年)に郷ノ浦町指定史跡(現在は壱岐市指定史跡)に指定されている。
遺跡歴
[編集]- 延享元年(1744年)完成の『壱岐国続風土記』に「松尾鬼屋」として石室の寸法とともに記述[1]。
- 1977年(昭和52年)、石室実測調査(九州大学文学部考古学研究室・壱岐在住研究者)[2]。
- 1977年(昭和52年)3月10日、郷ノ浦町指定史跡に指定(現在は壱岐市指定史跡)。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:8.44メートル[3]
- 玄室:長さ2.80メートル、幅1.96-2.88メートル
- 前室:長さ2.48メートル、幅1.64-1.92メートル
- 羨道:長さ2.64メートル、幅1.56メートル
石室の石材には玄武岩の自然石の巨石が使用される。玄室の平面形は奥にやや窄まる台形状で、前室の平面形は長方形である[2]。
-
玄室(奥壁方向)
-
玄室(開口部方向)
-
前室(開口部方向)
-
前室(玄室方向)
-
羨道(開口部方向)
-
開口部
文化財
[編集]壱岐市指定文化財
[編集]- 史跡
- 松尾古墳 - 1977年(昭和52年)3月10日指定。
脚注
[編集]- ^ a b 史跡説明板。
- ^ a b c 壱岐の島の古墳群 2012.
- ^ 壱岐市の文化財 2017.
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(壱岐市教育委員会、2015年設置)
- 「松尾古墳(永田1号墳)」『壱岐の島の古墳群~現状調査』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。
- 「松尾古墳」『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。