松崎寿
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松崎 寿(まつざき ひさし、明治19年(1886年)2月18日 - 昭和10年(1935年)9月11日)は、日本の経済学者。大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授在任中、死去した。
経歴・人物
[編集]静岡県駿東郡楊原村村上香貫生まれ[1][2][3]。静岡県立韮山中学校(現・静岡県立韮山高等学校)を経て[3]、1904年東京高等商業学校(現・一橋大学)予科入学[4]。1910年同校専攻科卒業[1][2]。關一に師事[3]。
同年大阪高等商業学校(現・大阪公立大学)講師[2]。1917年同校教授[2]。1920年叙正七位[5]。1922年叙従六位[6]。1928年叙従五位[7]。1929年大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授兼同大学高等商業部教授兼務[8][2]。1930年同大学評議員併任[2]。
1932年叙正五位[9]、商学博士[2]。同年関東軍に招聘され満州国奉天市に出張し、首藤正寿東三省官銀号顧問らとともに、貨幣や金融制度創設に参画[2][3][10]。
1935年胃癌のため大阪帝国大学医学部附属病院で死去し[3]、葬儀に際し、勅使として大阪府知事が邸宅に差遣され、幣帛が下賜され[11]、勲四等に叙された[3]。享年50[1]。墓所は薬王寺[3]。
著書
[編集]- 『最新商業算術 上巻』巌松堂 1912年
- 『日本商業新史』(細井安次郎と共著)啓成社 1913年
- 『外国商業新史』(細井安次郎と共著)啓成社 1913年
- 『商事要項問答』(細井安次郎と共著)松邑三松堂 1913年
- 『工業金融論』隆文館 1913年
- 『工業政策 分冊 第1』巌松堂書店 1918年
- 『工業政策』巌松堂書店 1919年
- 『貨幣ト金融』宝文館 1920年
- 『現代商工業問題研究』文雅堂 1921年
- 『銀行及金融研究』文雅堂 1922年
- 『震災と金融対策』文雅堂 1923年
- 『銀行概論 (銀行講座)』文雅堂 1926年
- 『金解禁問題研究』文雅堂 1929年
- 『財界不況と金融政策』大同書院 1931年
- 『銀行及金融市場』文雅堂 1933年
- 『本邦中小工業金融論』文雅堂 1934年
- 『松崎商事要項 上巻』大同書院 1935年
- 『松崎商事要項 下巻』大同書院 1935年
- 『金融論集』大阪商科大学金融研究室 1937年
出典
[編集]- ^ a b c 松崎寿(読み)まつざき ひさしデジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ a b c d e f g h 松崎 寿(読み)マツザキ ヒサシ20世紀日本人名事典
- ^ a b c d e f g 金融論集
- ^ 官報 1904年07月23日
- ^ 報 1920年08月21日
- ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/2955194/1/8
- ^ 官報 1928年04月25日
- ^ 官報 1929年03月18日
- ^ 報 1932年12月23日
- ^ 満洲中央銀行沿革史 (通報号外 ; 第44号)
- ^ 官報 1935年09月17日