松川八洲雄
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まつかわ やすお 松川 八洲雄 | |
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生年月日 | 1931年8月12日 |
没年月日 | 2006年10月11日(75歳没) |
出生地 | 日本 東京都 |
死没地 | 日本 東京都 |
職業 | 映画監督、脚本家、著作家 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1960年 - 2006年 |
松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2006年10月11日)は、日本の映画監督、脚本家、著作家である。
経歴
[編集]東京都に生まれる[1]。東京都立日比谷高等学校を経て、1956年に東京大学文学部美学美術史学科を卒業する[2]。
1966年、『鳥獣戯画』がベルガモ映画祭芸術部門大賞を受賞する[1]。1983年には、著書『ドキュメンタリーを創る』が刊行される[1]。『出雲神楽』は2002年度キネマ旬報ベスト・テン「文化映画」部門で1位に選ばれた[3]。
2006年10月11日、転移性肺・肝腫瘍のため死去[3]。75歳没[3]。
フィルモグラフィー
[編集]- 一粒の麦(1962年) - 監督
- とべない沈黙(1966年) - 脚本
- 鳥獣戯画(1966年) - 監督・脚本
- 今は昔 志のとおきな(1968年) - 監督
- ヘルメットの男たち(1969年) - 監督
- ヒロシマ・原爆の記録(1970年) - 監督
- 仕事=重サ×距離(1971年) - 監督
- 土くれ(1972年) - 監督
- hands・手(1975年) - 監督
- 飛鳥を造る(1976年) - 監督
- 不安な質問(1979年) - 演出・構成・脚本
- 琵琶湖・長浜・曳山まつり(1985年) - 監督・脚本
- 花の迷宮(1986年) - 監督
- ムカシが来た(1993年) - 監督
- オオシカの村(1993年) - 監督
- 景清の衣装(1994年) - 監督
- 青森発・縄文元年・日本(1995年) - 監督
- 出雲神楽(2002年) - 監督
- 吉野作造 マイ・ブルー・ヘブン デモクラシーへの問い…(2002年) - 監督
- 中江兆民 一粒の民主の種子を(2003年) - 監督
- 熊野古道(2006年) - 監督
著書
[編集]- ドキュメンタリーを創る(1983年、農山漁村文化協会)