松平定吉
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松平定吉 | |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代最初期 |
生誕 | 天正13年(1585年) |
死没 | 慶長8年11月11日(1603年12月13日) |
別名 | 定友 |
神号 | 稚国玉命 |
戒名 | 自照院殿 |
墓所 | 掛川真如寺 |
官位 | 従五位下・遠江守 |
主君 | 徳川家康 |
藩 | 遠江掛川藩世嗣 |
氏族 | 久松松平家 |
父母 |
父:松平定勝 母:たつ(奥平信昌養女) |
兄弟 | 松尾君、定吉、定行、定綱、阿姫、定実、紀為君、定房、菊君、定政、鶴君、玉君 |
松平 定吉(まつだいら さだよし)は、安土桃山時代から江戸時代最初期の武将。掛川藩主松平定勝の嫡男。定友とも名乗る。官位は従五位下・遠江守。徳川家康は伯父にあたる。
来歴
[編集]松平定勝の長男として誕生した。母は奥平信昌の養女(奥平貞友の次女)・たつ。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで伯父・家康に従う。翌慶長6年(1601年)、従五位下・遠江守に叙任。慶長8年(1603年)、家康の面前で鷺を射落としたが、家康に「無駄な殺生」だと叱責され、それを恥じて掛川にて自害した。享年19。自照院殿と贈られ、掛川真如寺に葬られた。代わって、弟の定行が嫡子となった。
顕彰
[編集]文政11年(1828年)、稚国玉命(わかくにだまのみこと)と神号を贈られ、社号を豊坂神社といい、松山城がある勝山山麓の東雲神社内に勧請され祀られた。
派生作品
[編集]定吉を扱った文芸作品が存在し、田宮虎彦の『鷺』などが有名である。