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松平定吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平定吉
松平定吉
時代 安土桃山時代 - 江戸時代最初期
生誕 天正13年(1585年
死没 慶長8年11月11日1603年12月13日
別名 定友
神号 稚国玉命
戒名 自照院殿
墓所 掛川真如寺
官位 従五位下遠江守
主君 徳川家康
遠江掛川藩世嗣
氏族 久松松平家
父母 父:松平定勝
母:たつ(奥平信昌養女)
兄弟 松尾君定吉定行定綱阿姫定実紀為君定房、菊君、定政、鶴君、玉君
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松平 定吉(まつだいら さだよし)は、安土桃山時代から江戸時代最初期の武将掛川藩松平定勝の嫡男。定友とも名乗る。官位従五位下遠江守徳川家康は伯父にあたる。

来歴

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松平定吉供養のために築かれた遠江塚(静岡県掛川市下俣)[1]
江戸時代に描かれた遠江塚の全景(「遠江塚」藤長庚編集『遠江古蹟圖會』1803年。国立国会図書館蔵)
真如寺の廟所

松平定勝の長男として誕生した。母は奥平信昌の養女(奥平貞友の次女)・たつ。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで伯父・家康に従う。翌慶長6年(1601年)、従五位下・遠江守に叙任。慶長8年(1603年)、家康の面前で鷺を射落としたが、家康に「無駄な殺生」だと叱責され、それを恥じて掛川にて自害した。享年19。自照院殿と贈られ、掛川真如寺に葬られた。代わって、弟の定行が嫡子となった。

顕彰

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文政11年(1828年)、稚国玉命(わかくにだまのみこと)と神号を贈られ、社号を豊坂神社といい、松山城がある勝山山麓の東雲神社内に勧請され祀られた。

派生作品

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定吉を扱った文芸作品が存在し、田宮虎彦の『鷺』などが有名である。

脚注

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  1. ^ 遠江塚”. 掛川市. 2013年11月22日閲覧。