松平定能
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦8年(1758年) |
死没 | 天保2年(1831年) |
改名 | 侶之允(幼名)→小笠原長氐(初名)→松平定能 |
別名 | 通称:貞次郎 |
官位 | 従五位下伊予守 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
氏族 | 高天神小笠原氏→久松松平家 |
父母 |
父:小笠原長恒、母:前田長泰娘 養父:松平定則 |
兄弟 | 小笠原宗準、定能 |
妻 | 正室:松平定則養女(松平定秀娘) |
子 | 養子:定規 |
松平 定能(まつだいら さだまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての寄合旗本。
生涯
[編集]小笠原長恒の次男。
安永2年(1773年)、松平定則の末期養子となって家督を継ぐ。寛政9年(1797年)に西城新番頭に任じられる。甲府勤番在任中の文化2年(1805年)、甲斐国の地誌の編纂を実施した[1]。文化4年(1807年)、西丸小姓組番頭に任ぜられ江戸在勤となるも、編纂は継続された。9年の歳月をかけた地誌編纂の成果は、文化11年(1814年)12月16日に『甲斐国志』として、定能の序文を含む首巻、本文118巻、附録5巻の124巻71冊にまとめられ、幕府に献上された。