松平直紹
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦9年5月25日(1759年6月19日) |
死没 | 文化11年8月28日(1814年10月11日) |
改名 | 豊太郎(幼名)→直紹 |
戒名 | 明徳院 |
墓所 | 東京都府中市多磨町の多磨霊園 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 越後糸魚川藩主 |
氏族 | 清崎松平家 |
父母 | 父:松平堅房、母:章姫(分部光命の娘) |
兄弟 | 諏訪頼古、井上直孝、佐久間信崇、直紹、半井成英室、松平近周室、滝川元郷室 |
妻 |
正室:本多助盈の娘・八重 継室:板倉勝矩の娘・琴 |
子 | 直益、松平近豊室、井上正直正室、花房正興正室、千寿院、有馬純通正室、岡部盛勝正室、田村顕彰室、阿部正棋室 |
松平 直紹(まつだいら なおつぐ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。越後国糸魚川藩の第4代藩主。官位は従五位下・日向守。
生涯
[編集]第3代藩主・松平堅房の7男として誕生。安永2年(1773年)、父の死去により跡を継ぐ。安永5年(1776年)11月15日に第10代将軍・徳川家治に拝謁し、安永6年(1777年)12月に叙任する。その後は日光祭礼奉行、田安御門番、半蔵門番、大坂加番などを歴任した。しかしそのために出費も激しく、藩財政の悪化を招いた。
文化3年(1806年)11月28日、長男・直益に家督を譲って隠居し、文化11年(1814年)8月26日に死去した。享年56。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女