松平親長 (松平郷松平家)
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松平 親長(まつだいら ちかなが、生年不詳-永禄7年7月2日(1564年8月8日))は、室町時代後期から戦国時代の武将。通称隼人佐、太郎左衛門。
松平広忠・徳川家康に歴仕し、所々の戦に従軍した。弘治元年(1555年)、尾張国蟹江城攻めの際、松平親乗に属して軍功を立てた[1]。
永禄7年7月2日死去。法名道心。墓所は晴暗寺(愛知県豊田市)[2] [1]。
『寛政重修諸家譜』より
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