松平貴強
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保2年(1742年) |
死没 | 寛政11年11月25日(1799年12月21日) |
改名 | 亀五郎(幼名)→貴強 |
別名 | 通称:次郎兵衛 |
戒名 | 恭徳院殿義嶽静貞大居士 |
墓所 | 長崎の海雲山皓台寺 |
官位 | 従五位下・石見守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
氏族 | 竹谷松平家支流 |
父母 | 父:松平親賢、養父:松平親房 |
松平 貴強(まつだいら たかます)は、江戸時代中期の旗本。通称は次郎兵衛。官位は従五位下・石見守。
略歴
[編集]竹谷松平家支流。松平大進親賢の次男として誕生。幼名は亀五郎。松平伊織親房の養子となる。
明和8年(1771年)に家督を継ぐ。天明7年(1787年)大坂町奉行、寛政9年(1797年)長崎奉行となった。翌年に勘定奉行兼帯となった。
寛政11年(1799年)在任中に長崎で58歳で没す。墓所は長崎の海雲山晧台寺。法名は恭徳院殿義嶽静貞大居士。