松本良一 (船舶工学者)
表示
松本 良一 (まつもと りょういち、1887年3月[1] - 没年不詳)は、日本の船舶工学者。
経歴
[編集]修猷館教諭を務めた松本豊太郎の長男として、福岡市に生まれる[2]。1905年福岡県立中学修猷館[3]、1910年7月第七高等学校造士館工科[4]を経て、1913年7月東京帝国大学工科大学造船学科を卒業[5][2]。
1913年三菱重工業に入社[2]。1919年英国に留学し[6]、神戸造船所参事、造船設計課長、造船設計部長を経て、1940年3月神戸造船所副長に就任[1]。
1942年4月東京帝国大学に、第二次世界大戦が激化する当時の情勢下において、軍事産業を支える工学者や技術者を養成するために、第二工学部が設置されると、その教授に招聘され就任する[7][8]。
戦後、東京帝国大学が東京大学となると、工学部教授となる[6]。
出典
[編集]- ^ a b 『人事興信録第13版』(人事興信所、1941年) マ-135頁
- ^ a b c 『ふるさと人物記』(夕刊フクニチ新聞社、1956年)101頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員6頁
- ^ 『第七高等学校造士館一覧(自昭和14年4月至昭和15年3月)』(第七高等学校造士館、1939年)147頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名196頁
- ^ a b 『人事興信録第15版』(人事興信所、1948年) マ-39頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(昭和17年)』(東京帝国大学、1943年)362頁
- ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) マ-128頁