松村万三郎
表示
松村 万三郎[1](旧字体:松󠄁村 萬三郞[2][3][4][5]、まつむら まんざぶろう、1903年(明治36年)5月[5] - 没年不明)は、日本の地主[1][6]・家主[7]、政治家、実業家、商人(伊勢屋、質商)[5][8]。東京市板橋区会議員[5]。松村機械製作所社長[9]。
経歴
[編集]東京府北豊島郡板橋町下板橋(現・東京都板橋区)出身。松村孫兵衛の三男[3][4][5][9]。青山学院高等科商科卒業[2][6][10][注 1]。父業を継いだ[5]。保険代理業[2]、質業[8]を営んだ。家督を相続した[注 2]。
松村機械製作所社長[3]、王子機械製作所監査役[10]、板橋区青年団板橋分団理事、家屋税調査委員、東京市方面委員、救護委員[2]などをつとめた。
人物
[編集]趣味は旅行[6][10]。宗教は真言宗[5]。住所は東京市板橋区板橋町八丁目[2][5][10]。
家族・親族
[編集]- 松村家
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『日本紳士録 第35版』東京マ之部714頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e 『東京市方面委員名鑑 東京市方面制度実施十五週年記念 昭和10年11月現在』406頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第12版 下』マ126頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 下』マ158頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京633頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』マ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第38版』東京マ之部736頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月9日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第31版』東京マ之部818頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月10日閲覧。
- ^ a b c 『人物之日本 評論と紹介 中』200頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』マ120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月17日閲覧。
- ^ 『東京府市名誉録』補遺之部(板橋)23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
- 千葉勇編『東京市方面委員名鑑 東京市方面制度実施十五週年記念 昭和10年11月現在』東京市方面委員名鑑刊行会、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 『人物之日本 評論と紹介 中』人物之日本社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。