松村松盛
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松村 松盛(まつむら まつもり、1886年(明治19年)1月25日[1] - 1945年〈昭和20年〉10月[2])は、日本の内務官僚。朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]宮城県志田郡下伊場野村(現在の大崎市)出身[1]。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、高等文官試験に合格[3]。和歌山県属、同那賀郡長、同理事官、福岡県理事官、同視学官を務めた[3]。その後、朝鮮総督府に転じ、全羅北道警察部長、学務課長、外事課長、鉄道局理事、土地改良課長、殖産局長を歴任し、1931年(昭和6年)に退官した[1]。
退官後は帝国軽金属統制株式会社取締役、野村生命保険株式会社監査役、太平洋石油株式会社顧問、東北更新会専務理事などを務めた[3]。
著書
[編集]- 『民衆之教化』(帝国地方行政学会、1923年)
- 『明け行く朝鮮』(帝国地方行政学会、1925年)
- 『世界の鼓動』(帝国地方行政学会、1926年)
- 『世界の旅』(帝国地方行政学会、1926年)
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1943.
- ^ 松山町史編纂委員会 1980, 1390頁.
- ^ a b c 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 松山町史編纂委員会 編『松山町史』松山町、1980年 。