松浦唯次郎
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松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月[1][2]) - 1901年(明治34年)5月4日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]安芸国賀茂郡津江村(のち広島県賀茂郡下黒瀬村→黒瀬町、現・東広島市)生まれ[1]。漢籍を学ぶ。豊田郡松江村(のち沼田西村、現・三原市)、下北方村(のち北方村、現・三原市)各庄屋、豊田郡戸長、広島県第九大区長、豊田郡長、学区取締、豊田郡徴兵事務官、検疫委員、日本赤十字社豊田郡委員長となる[2]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において広島5区から中央交渉会で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。