松田直長
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄5年(1562年) |
死没 | 明暦3年8月30日(1657年10月7日) |
別名 | 助六郎、市兵衛 |
戒名 | 了青 |
墓所 | 全長寺(東京都新宿区) |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 北条氏直、徳川家康、秀忠、家光、家綱 |
氏族 | 藤原北家秀郷流波多野氏族 松田氏 |
父母 | 松田康長 |
兄弟 | 直長、山角盛繁室 |
妻 | 山角左近大夫の娘 |
子 | 長重、俊長、山角勝長 |
松田 直長(まつだ なおなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。後北条氏に仕えた後、江戸幕府旗本となった。
人物
[編集]関東一円を支配した戦国大名・北条氏に仕え、5代目当主氏直から偏諱を授かっている。天正18年(1590年)小田原征伐の際に伊豆国山中城の戦いで戦死した父・康長の跡を継ぎ、相模国愛甲郡荻野郷・伊豆国牧郷など337貫600文余を知行した。同合戦で北条氏は没落するが、文禄4年(1595年)北条氏に代わって関東を支配する徳川家康に仕え、旧領荻野郷に230石余を与えられ、後に200石を加増された。慶長19年(1614年)から勃発した大坂の陣には双方の戦に参陣。寛永2年(1625年)相模国愛甲郡(のち上総国武射郡)・上総国山辺郡・下総国香取郡内に430石余を与えられる。慶安元年(1648年)徳川家綱付きとなった。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』